備忘録79(2019.06.16)

これ必読。うちの若い衆も是非読んでね。

今までは、障害福祉サービスが介護保険に統合されたら、ただ漠然と「サービスの質も量も低下する」ぐらいに考えていたけれども、そもそも「税」ではなく「(社会)保険」の枠組みになることそのものが、障害者の「存在自体の否定」につながるということに戦慄を覚えた。

「保険」て「事故が起きること」に備えるもの。だからその保険(金やサービス)の支給要件になるような「(保険)事故」は「起きないほうがいい」という前提で仕組みが作られている。

これを障害福祉サービス(特に先天的に障害を抱えて生まれてきた人たちに)に当てはめることは「障害=無いほうがいいもの」「障害者=存在しないほうがいい人たち」という考え方に立脚して福祉のシステムを構築することを「是」とすることになってしまう。これ、「優生思想」そのものですよ。

そして、「社会保障費の削減ありき」で「自助>互助>共助>公助」を推し進める流れ。障害福祉サービス(公助=税)を介護保険サービス(共助=社会保険)に統合することも「公助→共助」という「ダウングレード」なわけで、当然「社会保障費の削減」の流れに位置付けられることになる。

「地域包括ケアシステム」だの「我がこと・丸ごと」だの聞こえのいいコピーをいくら打ったって、これも結局は国が「自己責任型社会」を目指していることの一つの証左。

一方で、金持ちや大企業からは税金取らないわ、アメリカから押し付けられる武器はじゃんじゃん買うわ…

何度も言うけど、「富の再分配」をする気がないんだったら、「国」も「政治」も必要ないってば。。この社会の「生きづらさ」指数の上昇は、もう止められない気がしてきた。

https://acppd.org/a/1564


【追記】

ちなみに、「介護予防」の論理を援用すれば「障害予防」(の名の下に出生前診断~人工妊娠中絶の推奨)なんていう、もはや恐怖でしかない概念が誕生?復活?する可能性だってある。

いや、「介護予防」「認知症予防」だって、極端な話が、「介護が必要になる前に」「認知症を発症する前に」その「予備軍」たる高齢者は「殺しちゃおう」→「安楽(尊厳)死を推奨しよう」なんてことになりかねない。ここでも「安楽」とか「尊厳」とか美辞麗句を並び立てて…。

「障害があっても…」とか「介護が必要になっても…」とか「認知症になっても…」とか、この「も」という言葉に基づいて、多様性を尊重していこうという動きがじわじわと封じ込められていく…。

「多様性の尊重」が単に「いいこと」みたいに扱われているままだと、この流れに抗えなくなってしまう。「多様性の担保」が、社会や人類の「生存戦略上欠くべからざるもの」だということをもっと声高に叫んでいく必要がある。