備忘録38(2018.04.03)

「職場の役職人事なんかスタッフの選挙で決めたらええのに」と思うことがしばしば…。福祉の業界では基本的に「営業成績」的な数値化できる考課材料なんかないんやから、「この人がリーダー/ボスやったら仕事しやすいな/心強いな」という現場基準で選挙したらいいのに…と。

でも、じゃあ一般企業の社長や取締役が社員の選挙で決まるなんて話を聞いたことがないのは、企業には社員の能力を数値化できる=人材のスペックを明示できる評価材料がちゃんとあるからか、とも思うのだけれど、よくよく考えるともっと根本的なことだった。

「選挙なんかやってる暇がない」んですね、多分。今の世の中でより多くの利潤を追求するためには、何よりも効率とスピードが求められる。それは営業や開発に限らず、人事も同じなんだろう、きっと。会社や部署にとって「必要な能力」を数値化ないし可視化して、出来るだけ無駄のない、かつ失敗のないスムーズな人事処理をしなきゃいけない。なるほど、選挙なんていう「しちめんどくさい」ことをやってる暇はないですね、確かに。

ということは、選挙に代表される?ような近代民主主義政体というのは、「効率」や「スピード」「スムーズ」からは程遠いシステムだということになります。では何故、その「非効率」で「のろま」で「ちまちまとめんどくさい」民主政体が現代社会で幅広く受け入れられているのか。「発明者」?である西欧勢力が軍事的・経済的に世界を席巻したからというのも一つの解答なんだろうけれども、別の答えとして、「差し当たりそのやり方がマシに見えた」からということも考えられる。

そもそも効率やスピードやスムーズさが会社に求められるのは、組織の運営が「経済合理性」を大前提としており、組織の目的が「儲けること」その「一点」に集約されているからでしょう。こんな「分かりやすい」組織は他にないんじゃないかと思うぐらい単純明快です。

ところが、国や自治体といった組織はどうなの でしょう。経済合理性のような、組織運営の大前提になるものなんかない。あるとしても、それは「大義名分」的なスローガンやストーリーとして、人為的にわざわざ拵えないといけない。それを国民国家という単位で必死こいて成文化したものが、いわば「憲法」なわけでしょう。

おまけに組織としての目的も、企業にとっての「金儲け」のように、「たった一つ」に絞るなんてことは基本的にはできない。だって、国民や住民の中には、例えば、金儲けしたい人もいれば、別にしたくない人もいる。しかも、その「別に金儲けしたくない人」を「金儲けしたいと思っていないから」という理由で排除するわけにもいかない。会社なら「やる気がないやつ」として、いろいろ理由をつけて左遷なり解雇なりに持っていって排除することもできるでしょうけど。

なので、敢えて国や自治体の組織としての目的を考えるとしたら、それは「多様過ぎる価値観を持った人たちが寄り集まった共同体として生き残ること」といったところでしょうか。「多様性を内包した共同体として生き残る」ために必要なことは、「一つの価値観に全てを委ねない」ことです。仮に大義名分として「一つの価値観」を設定するとしても、それはその大義名分の下ではちゃんと多様性が担保される余地があるような「ゆるい」ものでなければならない。

そういうニーズの下で今のところ「マシに」機能すると思われるのが「近代民主政体」なんだろうと。手間暇のかかる選挙~議会制も、基本的人権に基づく様々な自由とその自由を保障するシステムも、「多様性の担保」には役に立つけれども、「合理性」や「効率の向上」にはむしろ強大な障壁になります。

だから、経済合理性に則って「利潤追求」という単一の目的がはっきりしている=そうしないと生き残れない「企業」であれば、別に「民主的なシステム」なんかなくてもいいんです。むしろ独裁によるトップダウン形式のほうがよほど理に適っているし、現に「社員による民主的な選挙で選ばれた社長」なんてのはいない。

問題なのは、国や自治体といった単一の至上命題なんか掲げられないはずの「共同体の運営」=「政治」が「企業と同じロジックで語られる」ことだと思います。

アベ友政権になって、その傾向が特に顕著になっていることは言うまでもありません。彼らは日本という国を「株式会社ニッポン」にしたいんです、多分。そのためには「価値観は単一」がいいし、効率の悪い「民主政治システム」なんかは邪魔で仕方がないんです。

あれ、職場の愚痴のつもりが、政権批判になっちゃった。