備忘録37(2018.03.27)

「私たちは酷い国に住んでいる」と自覚するところから始めよう。

■息を吐くように嘘をつき、普通の日本語による意思疎通ができず、民主制を破壊することをライフワークにしている、品性劣悪な政治家を大量に当選させてしまう民度の低い国であることを自覚しよう。

■主権を持った一独立国ではなく、世界中から笑い者にされる「米国の属国」であることを自覚しよう。

ネトウヨ的言説~露悪的な本音主義が支持を集め、ヘイトスピーチヘイトクライムが擁護される「人権後進国」に住んでいることを自覚しよう。

■教育も、福祉も、医療も、文化やスポーツも、「活躍」の定義も、何もかもが「カネ」に還元される国に住んでいることを自覚しよう。

…そして、戦後の様々な社会的「貯金」を切り崩しながら、風前の灯と化した「平穏」を感じながら暮らしているのが、今の私たちであることを自覚しよう。

こういうことを言うと、ネトウヨ的な人たちが必ず発する定型句がある。

「そんなに日本が嫌いなら、今すぐ出ていけ」

いつも思うのだけれど、「現状を率直に見つめ直す態度やそれに基づく批判」=「嫌い」という短絡的な認識というか混同を、いい加減改めるところから始めていただけないだろうか…。

好きとか嫌いとか、そういう次元の話ではなくて、私は自分自身が「抜き差しならない」レベルで日本社会の「当事者」だと思うから、「何ができるのか」「何もできないのか」「何をしても無駄なのか」…そこいらで悩んでいるわけで。

結果、差し当たって「できそう」なことは、今の日本社会の有り様について「自覚する」=「病識を持つ」ことぐらいしか思い付かなかった次第なのです。

最近氾濫している「日本スゴい」系のメディアコンテンツで悦に入っている場合じゃないんです。むしろ「自虐」を通じてでも、冷静さを取り戻す必要がある。冷静にならないと「病識」は持てない。「病識」を持つことができなければ、根本的な「治療」を始めることもできない。

「患者」というのは、その人がかかっている病気の「のっぴきならない当事者」のことでしょう。社会の病態に対して「病識を持った一患者」として向き合う。そこから始めるしかないと思うのです。