備忘録114(2021.03.11)

タクさんが突然自宅で息を引き取って、今日でちょうど1ヶ月。そんなに駆け足で過ぎ去ってくれるな、と時間を恨めしく思うのもお門違いで、勝手に駆け足で1ヶ月を過ごしてしまったのは私自身の問題か…。

亡くなった利用者さんを見送る時、「お疲れ様」「ありがとう」と並んで大体いつも心に浮かぶのは「生まれてきて良かった(って感じながら/感じてから逝けた)?」という問いかけ。

これは、見送る相手が利用者さんだから出てくるものなのか、相手が亡くなるその瞬間に立ち会っていないから出てくるものなのか。私がこれまで唯一「臨終」に立ち会ったのは自分の父親だけなのだけれど、その時も同じような問いかけを父にしたのかどうか、まだ3年も経っていないのに、よく覚えていない。

とにかく、亡くなったタクさんを見送る時は、問いかけた。そして、他の亡くなった利用者さんと同じく、今度も本人から直接回答をもらうことは望むべくもなかった。

ただ、タクさんの告別式が終わり、棺を乗せた霊柩車を見送る段になって、タクさんのお母さんが、霊柩車に乗り込む間際、私たち会葬者のほうに向き直り、たった一言、はっきりとした口調で「幸せでした」と「断言」した。

無言の会釈でもなく、「ありがとうございました」でもない、「幸せでした」--

お母さんの一言は、文字通りの「一言」だったので、主語も無かった。主語は「タクヤ」だったのか、「タクヤの母として生きることができた私」だったのか、あるいはその両方だったのか。

もちろんそこには、「皆さんと出会い、お付き合いできたからこそです。本当にありがとうございました。」という言外の感謝もきっちりと織り込まれていた。

「生まれてきて良かった?」への回答は、いつも推測するしかなかった。私の知るそれまでの相手の人生、亡くなった経緯、棺の中の相手の表情と佇まい、ご遺族の様子…そうした断片を拾い集めて、返ってくる当てもない回答に思いを致すしかなかった。

あるいは、「本人も幸せだったと思います。」と語るご遺族はこれまでも多く見てきたけれど、それもまたご遺族の推測に過ぎない(ただ、推測だったとしても「幸せだった」と思えること自体が貴重であることには違いない)。

ところが、タクさんのお母さんは「幸せでした」と断言した。そんな人は多分初めてだった。つまり、亡くなった本人から直接ではないものの、こうまではっきりとした「回答」をいただいたのも初めてだった。

この「断言」は、それを裏付ける「生き方」をしてこなければ決して発することのできないものだと思う。「幸せでした」の主語がタクさんであれ、お母さんであれ、41年余りを寄り添い合って生きてきたことへ万感が、この一言に詰め込まれている。

私が「生まれてきて良かった?」と亡くなった利用者さんに問うのは、もしかしたら、(感覚や感情は別として)あくまでも「ケアワーカー」というパブリックな立場で生前の彼/彼女に接してきた、時間を共にしてきた、そのことに意味があったのか?私のその仕事に「成果」はあったのか?それを確かめたい欲求に駆られているからなのかもしれない(これは不謹慎なのか?)。

「生まれてきて良かった?」には「続き」があったということだ。

…あなたが「生まれてきて良かった」と感じて亡くなったとして、私はそこに「いっちょ噛み」できたのでしょうか?

職業人(ケアを生業とする者)としての私にとっては、この「いっちょ噛みできたかどうか」が、「仕事の成果」に関わる死活問題だと感じているということなのだろうか。ただ、その問いが「問いだけで終わる」前提でしか発せられないことも分かっていて、なお問うているという自覚もあるにはある。だから、基本的にその「成果」とやらは確かめようがない。

しかし、今回のお母さんの「幸せでした」には、私がそこに「いっちょ噛み」させてもらえたという確かな手応えを感じる「威力」が確かにあった。それほどに刺さった。ありがたいことこの上ない。

翻って、私は同じ言葉をタクさんのお母さんのように堂々と「断言」できるだろうか。

鎌倉時代のとあるお坊さんの言葉を改めて噛み締める。

【先ず臨終の事を習うて、後に他事を習うべし。】

何よりもまず「死に際/死に方」に思いを致せ。どんな「死に際/死に方」をゴールとして定めるかによって、そこに至る「生き方」が変わってくる。

自分自身も、自分の周りの人たちも、一人でも多くの人が「生まれてきて良かった」と心底感じて死ねる(そういうゴールに辿り着けるように生きることができる)にはどうすればいいのか。

ここまで来ると、もう「職業人として」みたいな、せせこましい?「立場」の問題ではなくなってくるけれども、それでも「ケアワーカー」というナリワイは、こういう問題の核心「近辺」をうろちょろするには打ってつけなのかもしれない。

しかしまた、奇しくも今日は東日本大震災の発災から10年という節目の日でもある。震災で(関連死も含めて)亡くなったお一人お一人は、その臨終の瞬間、何を感じたのだろうか。「まだ死にたくない/死ねない」「何で私が」…言葉にならない恐怖や悔恨や絶望の中で亡くなった方が大半だったのだろうか。

あまりにも不慮の死を迎えることになった人に対しては、「生まれてきて良かったですか?」などという問いは、無神経極まりない「暴力性」すら帯びてしまう。

そう考えると、タクさんや他の亡くなった利用者さんに対して、あまり抵抗なく「問う」ことができたのは、生前の彼/彼女らと接する時、常に頭のどこかで「死」を意識していたからかもしれない。あるいは無意識下で本能的に感じながら接していたからか。しかもお互いに。

すると、彼/彼女らの「死」は限りなく「不慮」から遠ざかる。傍目には「不慮」に見える亡くなり方も、私たち当事者にとっては「常に覚悟していたこと」になる。

「生まれてきて良かったか?」と問い/問われ、「良かった」と答え/答えられるための要件の一つは、もしかしたら、意識するとしないとにかかわらず「死」を身近なものとして引き受けながら日常を送ることのなのかもしれない。

2021.03.11