備忘録115(2021.12.23)

前作に引き続き、ボスが執筆陣に加わっており、「今回もいっちょレビュー頼むわ」とサラリと言われた。「またしてもこんな分厚い本、勘弁してくださいよ」と思いつつ、Noと言えないので、ザーっと読んで、ザーっとレビューを書いてみました。

国際絡みの仕事は、他の仕事が立て込んでたり、コロナもあって暫く開店休業状態だったんだけれども、そろそろまた本腰入れなあかんなと再確認したのでした。

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前作『介護現場の外国人労働者―日本のケア現場はどう変わるのか―』が上梓された当時(2010年)は、留学生ビザや配偶者ビザ、ワーキングホリデービザ等一部のビザを除くと、外国人が日本の介護現場で働くためのルートというのは、基本的にEPA経済連携協定)「一択」であった。

それから10年の間に、この「ルート」は次第に多様化。2021年現在、EPAに加えて、在留資格「介護」、技能実習生、特定技能1号と主に4つのルートが整備され、しかもルート間での「ビザの切り替え」も一定の条件を満たせば可能となっている。

前作も、そして続編となる本書も、数値的なデータ分析とともに、現場の当事者の生の声を丁寧に拾い集めており、極めてリアルな調査研究書として仕上げられていると思う。特に本書は、日本の介護現場における外国人労働者の受け入れについて、この「EPA一択時代」→「主要4ルート時代」に至る10年間の「変遷とその実態」を把握し、「受け入れを成功に導くヒント」を得る上で必携の一冊ではないかと感じている。

ただ、気になる点が一つ。本書は編著者以外にも、外国人介護労働者受け入れ側(一部送り出し側)の担当者・責任者たちが各章で執筆を受け持っており、取り上げられる大部分の「外国人介護労働者」はフィリピン、ベトナムインドネシア出身者である。

そして、受け入れや送り出しに際しての大きな「課題」の一つとして、「(母国では)家族や親族が介護を担うことが当たり前」「介護=高齢者等のお世話」という外国人労働者側のマインドセットを、いかにして「介護は社会全体で担うもの」「介護=自立支援~尊厳のある生を全うできるようにする支援」という基本認識に変えていけるか…を挙げている執筆者が多かったように思う。つまり、いかにして「日本式の介護マインド」を身に付けてもらうかという課題だ。

確かに、日本の「介護」は、一見そうした理念や原理原則をベースにして制度設計や職業倫理(専門職としての意識)形成等がなされているようにも見える。しかし「実態」はどうなのだろう。

例えば、介護保険障害福祉サービスの認定調査等におけるアセスメントにおいて、必ずチェックが入る「介護力」という項目がある。これは「本人の介護を担うことのできる家族はいるか/その家族は十分に本人の介護を担うことができるか」という項目に他ならない。

また、昨今注目を浴びつつある「ヤングケアラー」の問題にしても、福祉サービスへのアクセシビリティが不十分である点もさることながら、家族のケアを担っている当人たちに「自身がヤングケアラーに当てはまるという認識/自覚がない」=「自分が家族のケアをするのが当然だと思っている」ことが問題の核心の一つとして挙げられている。

このように「家族の介護(ケア)は家族で担うのが当然」という認識は、多くの外国人介護労働者の出身国・地域(主に東~東南アジア)だけでなく、日本社会においても根強いものがある。日本もまた東アジア圏の一地域として長い歴史を歩んできたことを思えば、文化的・精神的土壌において、日本人が当の外国人介護労働者たちと共通の「根っこ」を少なからず持っていることは何ら不思議ではない。

「介護の社会化」の前提として、徹底した個人主義が底流にあるヨーロッパ圏(主に北欧・西欧圏?)に対して、血縁や地縁といった共同体意識(主義?)によって社会が形成されている/きたアジア圏(主に東・東南アジア圏?)において、「ヨーロッパと同様の介護の社会化」は可能なのか?あるいはそもそも適切なのか?という点は、やはり吟味が必要かと思う。

その意味で、アジア圏からの外国人介護労働者の受け入れは、単なる「人手の補充」でもなければ、「(日本式介護・福祉~日本社会への)同化の強要」であってもならない。むしろ、「介護(ケア)の社会化」の必要性と「家族介護(ケア)」を前提とするメンタリティとの狭間で苦心している(これから苦心することになる)者同士で知恵を出し合い、北欧や西欧の福祉モデルとは一線を画する「(東・東南)アジア型福祉モデル」を構築するための「パートナーシップの第一歩」として、外国人介護労働者の受け入れに取り組む/向き合うことが、日本の介護・福祉現場には求められているのかもしれない。