備忘録116(2022.07.17)

安倍元首相殺害の被疑者にまつわるメディアの取り上げ方で、またぞろ「宗教=怖い」イメージが煽られている(気がする)。

件の宗教法人は、あくまでも「宗教法人という法人格を持っている組織」というだけであって、本来の「宗教(組織)」ではないと個人的には思っているので、あれを宗教として取り扱うのは本当にやめてほしいと、一人で勝手に鬱々とした気分になっている。

「宗教」の「宗」は、「おおもと/根源/ルーツ」という字義を持っている。「宗教」という熟語だとイメージしづらいかもしれないが、伝統芸能の家元を「宗家」と言ったり、ご先祖のことを「祖宗」と言ったりするのはこの「おおもと」という字義によるものだ。つまり「宗教」は、直訳すると「おおもと/根っこの教え」という意味になる。

「世界や物事のおおもと/根っこは何なのか」を追究し、そこに辿り着こうとすること。そして、その「おおもと/根っこ」を起点として、「今」をどう生きるか、「明日」をどう生きるか(死ぬか)という問題に真摯に向き合い、その解決に向けて実際に行動すること。

そういう営みのことを、本来「宗教」と呼ぶのだと思う。だから、個人的には「宗教(的態度・姿勢・振舞い)」と「科学(的態度・姿勢・振舞い)」と「哲学(的態度・姿勢・振舞い)」は同じものだと思っている。

そういう感覚で宗教を捉えている人間からすると、単に異様な集団を指して「宗教」と呼び、おどろおどろしく「宗教=怖い」と煽り立てる言説の在り方は、憤懣やる方なし…なのである。

ただ、世界や物事の「おおもと/根っこ」を扱う営みだけに、「使い方を間違うと怖い」という文脈なら分かるけれども…(一つ間違えば大量殺戮兵器を生み出してしまう、という意味で「科学は怖い」という言い方に違和感は無い)。

というわけで、件の宗教法人を「宗教法人格を持っている」というだけで「宗教」と同一視して取り扱うこと、それを通じて「宗教=怖い、異様なもの(シューキョー)」というおどろおどろしいイメージを流布すること、この二つは本当にやめてほしい。「宗教」と「シューキョー」は全く別物なのだから。

そもそも、世界や物事の根っこについて真剣に考えることの、どこが「異様」なんですかね?そういう営みの恩恵を「私は生まれてこのかた一度も享受したことがない」と言い切ってしまう人がいるとしたら、そういう人が、逆に私には「異様」に映るのです。