備忘録116(2022.07.17)

安倍元首相殺害の被疑者にまつわるメディアの取り上げ方で、またぞろ「宗教=怖い」イメージが煽られている(気がする)。

件の宗教法人は、あくまでも「宗教法人という法人格を持っている組織」というだけであって、本来の「宗教(組織)」ではないと個人的には思っているので、あれを宗教として取り扱うのは本当にやめてほしいと、一人で勝手に鬱々とした気分になっている。

「宗教」の「宗」は、「おおもと/根源/ルーツ」という字義を持っている。「宗教」という熟語だとイメージしづらいかもしれないが、伝統芸能の家元を「宗家」と言ったり、ご先祖のことを「祖宗」と言ったりするのはこの「おおもと」という字義によるものだ。つまり「宗教」は、直訳すると「おおもと/根っこの教え」という意味になる。

「世界や物事のおおもと/根っこは何なのか」を追究し、そこに辿り着こうとすること。そして、その「おおもと/根っこ」を起点として、「今」をどう生きるか、「明日」をどう生きるか(死ぬか)という問題に真摯に向き合い、その解決に向けて実際に行動すること。

そういう営みのことを、本来「宗教」と呼ぶのだと思う。だから、個人的には「宗教(的態度・姿勢・振舞い)」と「科学(的態度・姿勢・振舞い)」と「哲学(的態度・姿勢・振舞い)」は同じものだと思っている。

そういう感覚で宗教を捉えている人間からすると、単に異様な集団を指して「宗教」と呼び、おどろおどろしく「宗教=怖い」と煽り立てる言説の在り方は、憤懣やる方なし…なのである。

ただ、世界や物事の「おおもと/根っこ」を扱う営みだけに、「使い方を間違うと怖い」という文脈なら分かるけれども…(一つ間違えば大量殺戮兵器を生み出してしまう、という意味で「科学は怖い」という言い方に違和感は無い)。

というわけで、件の宗教法人を「宗教法人格を持っている」というだけで「宗教」と同一視して取り扱うこと、それを通じて「宗教=怖い、異様なもの(シューキョー)」というおどろおどろしいイメージを流布すること、この二つは本当にやめてほしい。「宗教」と「シューキョー」は全く別物なのだから。

そもそも、世界や物事の根っこについて真剣に考えることの、どこが「異様」なんですかね?そういう営みの恩恵を「私は生まれてこのかた一度も享受したことがない」と言い切ってしまう人がいるとしたら、そういう人が、逆に私には「異様」に映るのです。

備忘録115(2021.12.23)

前作に引き続き、ボスが執筆陣に加わっており、「今回もいっちょレビュー頼むわ」とサラリと言われた。「またしてもこんな分厚い本、勘弁してくださいよ」と思いつつ、Noと言えないので、ザーっと読んで、ザーっとレビューを書いてみました。

国際絡みの仕事は、他の仕事が立て込んでたり、コロナもあって暫く開店休業状態だったんだけれども、そろそろまた本腰入れなあかんなと再確認したのでした。

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前作『介護現場の外国人労働者―日本のケア現場はどう変わるのか―』が上梓された当時(2010年)は、留学生ビザや配偶者ビザ、ワーキングホリデービザ等一部のビザを除くと、外国人が日本の介護現場で働くためのルートというのは、基本的にEPA経済連携協定)「一択」であった。

それから10年の間に、この「ルート」は次第に多様化。2021年現在、EPAに加えて、在留資格「介護」、技能実習生、特定技能1号と主に4つのルートが整備され、しかもルート間での「ビザの切り替え」も一定の条件を満たせば可能となっている。

前作も、そして続編となる本書も、数値的なデータ分析とともに、現場の当事者の生の声を丁寧に拾い集めており、極めてリアルな調査研究書として仕上げられていると思う。特に本書は、日本の介護現場における外国人労働者の受け入れについて、この「EPA一択時代」→「主要4ルート時代」に至る10年間の「変遷とその実態」を把握し、「受け入れを成功に導くヒント」を得る上で必携の一冊ではないかと感じている。

ただ、気になる点が一つ。本書は編著者以外にも、外国人介護労働者受け入れ側(一部送り出し側)の担当者・責任者たちが各章で執筆を受け持っており、取り上げられる大部分の「外国人介護労働者」はフィリピン、ベトナムインドネシア出身者である。

そして、受け入れや送り出しに際しての大きな「課題」の一つとして、「(母国では)家族や親族が介護を担うことが当たり前」「介護=高齢者等のお世話」という外国人労働者側のマインドセットを、いかにして「介護は社会全体で担うもの」「介護=自立支援~尊厳のある生を全うできるようにする支援」という基本認識に変えていけるか…を挙げている執筆者が多かったように思う。つまり、いかにして「日本式の介護マインド」を身に付けてもらうかという課題だ。

確かに、日本の「介護」は、一見そうした理念や原理原則をベースにして制度設計や職業倫理(専門職としての意識)形成等がなされているようにも見える。しかし「実態」はどうなのだろう。

例えば、介護保険障害福祉サービスの認定調査等におけるアセスメントにおいて、必ずチェックが入る「介護力」という項目がある。これは「本人の介護を担うことのできる家族はいるか/その家族は十分に本人の介護を担うことができるか」という項目に他ならない。

また、昨今注目を浴びつつある「ヤングケアラー」の問題にしても、福祉サービスへのアクセシビリティが不十分である点もさることながら、家族のケアを担っている当人たちに「自身がヤングケアラーに当てはまるという認識/自覚がない」=「自分が家族のケアをするのが当然だと思っている」ことが問題の核心の一つとして挙げられている。

このように「家族の介護(ケア)は家族で担うのが当然」という認識は、多くの外国人介護労働者の出身国・地域(主に東~東南アジア)だけでなく、日本社会においても根強いものがある。日本もまた東アジア圏の一地域として長い歴史を歩んできたことを思えば、文化的・精神的土壌において、日本人が当の外国人介護労働者たちと共通の「根っこ」を少なからず持っていることは何ら不思議ではない。

「介護の社会化」の前提として、徹底した個人主義が底流にあるヨーロッパ圏(主に北欧・西欧圏?)に対して、血縁や地縁といった共同体意識(主義?)によって社会が形成されている/きたアジア圏(主に東・東南アジア圏?)において、「ヨーロッパと同様の介護の社会化」は可能なのか?あるいはそもそも適切なのか?という点は、やはり吟味が必要かと思う。

その意味で、アジア圏からの外国人介護労働者の受け入れは、単なる「人手の補充」でもなければ、「(日本式介護・福祉~日本社会への)同化の強要」であってもならない。むしろ、「介護(ケア)の社会化」の必要性と「家族介護(ケア)」を前提とするメンタリティとの狭間で苦心している(これから苦心することになる)者同士で知恵を出し合い、北欧や西欧の福祉モデルとは一線を画する「(東・東南)アジア型福祉モデル」を構築するための「パートナーシップの第一歩」として、外国人介護労働者の受け入れに取り組む/向き合うことが、日本の介護・福祉現場には求められているのかもしれない。

備忘録114(2021.03.11)

タクさんが突然自宅で息を引き取って、今日でちょうど1ヶ月。そんなに駆け足で過ぎ去ってくれるな、と時間を恨めしく思うのもお門違いで、勝手に駆け足で1ヶ月を過ごしてしまったのは私自身の問題か…。

亡くなった利用者さんを見送る時、「お疲れ様」「ありがとう」と並んで大体いつも心に浮かぶのは「生まれてきて良かった(って感じながら/感じてから逝けた)?」という問いかけ。

これは、見送る相手が利用者さんだから出てくるものなのか、相手が亡くなるその瞬間に立ち会っていないから出てくるものなのか。私がこれまで唯一「臨終」に立ち会ったのは自分の父親だけなのだけれど、その時も同じような問いかけを父にしたのかどうか、まだ3年も経っていないのに、よく覚えていない。

とにかく、亡くなったタクさんを見送る時は、問いかけた。そして、他の亡くなった利用者さんと同じく、今度も本人から直接回答をもらうことは望むべくもなかった。

ただ、タクさんの告別式が終わり、棺を乗せた霊柩車を見送る段になって、タクさんのお母さんが、霊柩車に乗り込む間際、私たち会葬者のほうに向き直り、たった一言、はっきりとした口調で「幸せでした」と「断言」した。

無言の会釈でもなく、「ありがとうございました」でもない、「幸せでした」--

お母さんの一言は、文字通りの「一言」だったので、主語も無かった。主語は「タクヤ」だったのか、「タクヤの母として生きることができた私」だったのか、あるいはその両方だったのか。

もちろんそこには、「皆さんと出会い、お付き合いできたからこそです。本当にありがとうございました。」という言外の感謝もきっちりと織り込まれていた。

「生まれてきて良かった?」への回答は、いつも推測するしかなかった。私の知るそれまでの相手の人生、亡くなった経緯、棺の中の相手の表情と佇まい、ご遺族の様子…そうした断片を拾い集めて、返ってくる当てもない回答に思いを致すしかなかった。

あるいは、「本人も幸せだったと思います。」と語るご遺族はこれまでも多く見てきたけれど、それもまたご遺族の推測に過ぎない(ただ、推測だったとしても「幸せだった」と思えること自体が貴重であることには違いない)。

ところが、タクさんのお母さんは「幸せでした」と断言した。そんな人は多分初めてだった。つまり、亡くなった本人から直接ではないものの、こうまではっきりとした「回答」をいただいたのも初めてだった。

この「断言」は、それを裏付ける「生き方」をしてこなければ決して発することのできないものだと思う。「幸せでした」の主語がタクさんであれ、お母さんであれ、41年余りを寄り添い合って生きてきたことへ万感が、この一言に詰め込まれている。

私が「生まれてきて良かった?」と亡くなった利用者さんに問うのは、もしかしたら、(感覚や感情は別として)あくまでも「ケアワーカー」というパブリックな立場で生前の彼/彼女に接してきた、時間を共にしてきた、そのことに意味があったのか?私のその仕事に「成果」はあったのか?それを確かめたい欲求に駆られているからなのかもしれない(これは不謹慎なのか?)。

「生まれてきて良かった?」には「続き」があったということだ。

…あなたが「生まれてきて良かった」と感じて亡くなったとして、私はそこに「いっちょ噛み」できたのでしょうか?

職業人(ケアを生業とする者)としての私にとっては、この「いっちょ噛みできたかどうか」が、「仕事の成果」に関わる死活問題だと感じているということなのだろうか。ただ、その問いが「問いだけで終わる」前提でしか発せられないことも分かっていて、なお問うているという自覚もあるにはある。だから、基本的にその「成果」とやらは確かめようがない。

しかし、今回のお母さんの「幸せでした」には、私がそこに「いっちょ噛み」させてもらえたという確かな手応えを感じる「威力」が確かにあった。それほどに刺さった。ありがたいことこの上ない。

翻って、私は同じ言葉をタクさんのお母さんのように堂々と「断言」できるだろうか。

鎌倉時代のとあるお坊さんの言葉を改めて噛み締める。

【先ず臨終の事を習うて、後に他事を習うべし。】

何よりもまず「死に際/死に方」に思いを致せ。どんな「死に際/死に方」をゴールとして定めるかによって、そこに至る「生き方」が変わってくる。

自分自身も、自分の周りの人たちも、一人でも多くの人が「生まれてきて良かった」と心底感じて死ねる(そういうゴールに辿り着けるように生きることができる)にはどうすればいいのか。

ここまで来ると、もう「職業人として」みたいな、せせこましい?「立場」の問題ではなくなってくるけれども、それでも「ケアワーカー」というナリワイは、こういう問題の核心「近辺」をうろちょろするには打ってつけなのかもしれない。

しかしまた、奇しくも今日は東日本大震災の発災から10年という節目の日でもある。震災で(関連死も含めて)亡くなったお一人お一人は、その臨終の瞬間、何を感じたのだろうか。「まだ死にたくない/死ねない」「何で私が」…言葉にならない恐怖や悔恨や絶望の中で亡くなった方が大半だったのだろうか。

あまりにも不慮の死を迎えることになった人に対しては、「生まれてきて良かったですか?」などという問いは、無神経極まりない「暴力性」すら帯びてしまう。

そう考えると、タクさんや他の亡くなった利用者さんに対して、あまり抵抗なく「問う」ことができたのは、生前の彼/彼女らと接する時、常に頭のどこかで「死」を意識していたからかもしれない。あるいは無意識下で本能的に感じながら接していたからか。しかもお互いに。

すると、彼/彼女らの「死」は限りなく「不慮」から遠ざかる。傍目には「不慮」に見える亡くなり方も、私たち当事者にとっては「常に覚悟していたこと」になる。

「生まれてきて良かったか?」と問い/問われ、「良かった」と答え/答えられるための要件の一つは、もしかしたら、意識するとしないとにかかわらず「死」を身近なものとして引き受けながら日常を送ることのなのかもしれない。

2021.03.11

備忘録113(2021.01.14)

ある時、就活生対象のセミナー見学会で、参加学生の一人からこんな質問を受けた。

「同じ『ケア』という仕事でも、例えば病院で入院患者のケアに当たる看護師さんであれば、患者さんの病気や怪我が治って、元気になって笑顔で退院していくといったところにやり甲斐を感じることもあると思うのですが、ここのスタッフさんの場合、相手にしている利用者さんは重度の障害をお持ちで、基本的にその障害や難病が『治る』ことはないわけですよね?『治る』見込みのない障害や病気を抱えた方々と日々接する中で、一体何が仕事のモチベーションになっているのでしょうか?」という趣旨だったと記憶している。

なかなかにグサリと来る質問である。やり甲斐やモチベーションというのは極めて主観的で個人的なものなので、軽々しく「この職種/業種のやり甲斐は…」などと一般化して語ることは厳に慎まなければならないのだけれども、この時は、一応「cureとcare」という観点から回答させていただいた。(とは言っても「ケア」とは何ぞや?という話はしていないし、私の頭の中でもあんまりまとまっていないのでできなかった)

この学生さんの言う「看護師が病院で入院患者に対しておこなうケア(care)」というのは、「治療(cure)のプロセスの一つ」を指す。「ゴール」はあくまでも病気や怪我の「治癒or寛解(を経ての退院)」であって、患者の心身に対する「ケア」は、この「治療」を円滑に進めるために必要な「一過程」として位置付けられる(当の現場の看護師さん一人一人がどう感じているかは別として)。

治療(とその一環としておこなわれるケア)には、治癒という「明確な」ゴールがあるけれども、それは「こうなったら『治癒した』と呼べる状態だ」という患者の「本来あるべき健康な状態」が一定程度はっきりと想定されているからこそ可能なことだ。いわゆる「リハビリ(rehabilitation)」も同じなのだろうけれど、「治療(cure)」には「矯正=あるべき正しい姿に立ち戻る/復帰する」というニュアンスが常につきまとう。つまり、基本的に治療やリハビリを受ける対象者は、一時的にせよ何らかの「異常な状態にある者」として扱われることになる。

件の学生さんが「看護師が入院患者に対しておこなうケア」について比較的容易に?「やり甲斐/モチベーション」を想起できたのは、その「ケアの目的(ゴール)=治療を通じての治癒」があまりにも「明確」だからだろうと思うのだが、その「明確さ」を担保しているのは「正常と異常の区別」であるという点には留意する必要がある。

「治る/治らない」という「治療(cure)」の視点で「障害当事者」と向き合うことは、「正常な私(=健常者)と異常なあなた(=障害者)」という向き合い方に通じていて、それは「あなた(=障害者)が私(=健常者)に『合わせる』べきだ」という一種の暴力性をも含んでいる。そのことに無自覚なままでいると、「ありのままのあなた(引いては『私』)」の存在を否定することになりかねず、実は非常に危険な認識であると言わねばならない。

そのことを踏まえて、私たち(重症心身障害者の日常生活に関わる)スタッフがおこなう「ケア(care)」について考えると、まずもってそれは「治療(cure)の一プロセス」ではない。

治療やリハビリでは、患者の「あるべき正しい状態(治癒・寛解)」=「(客観的な)ゴール」が最初から想定されているのに対して、私たちの場合は、利用者自身が「こうありたいと望む状態(生き方や暮らし)」=「(主観的な)ゴール」が、そもそも「どんなものなのか」を一緒に考えるところから関わりを始める(べきだと思う)。ケアが行き着くゴールの性質も、その設定の在り方もまるで異なるのである。

私たちのケアは、「生きること/暮らすこと全体の一プロセス」であって、ゴールとなる「生き方や暮らし」というのも、仮にある時点でそこに到達したとして、私たちのケアがそこで「はい、終了」となるわけではない。

「治療の終わり」が「治癒(寛解)or 死亡」という二択であるとすると、「生きること/暮らすことの終わり」というのは、実は「死」一択しかなく、私たちのケアは基本的に利用者の「生」が続く限り終わることはない(福祉サービスとしては、利用者の転居や事業所とのミスマッチによる、単なる「利用契約の終了」というケースも当然あり得るけれども…)。

私がそういう性質のケアの中にモチベーションを見出すとすれば、それは、一人の利用者が亡くなるその時に「生まれてきて良かった」と感じてもらえるかどうか(そしてそこにスタッフとしての私が「いっちょ噛み」できたのかどうか)――全てはそこに懸かっている気がする。

このようなモチベーションの捉え方は、医療の現場でも皆無ではないと思う。ホスピスのような「緩和ケア(治癒や寛解を目的としていないので『緩和キュア』とは言わないですよね)」の現場はその典型かもしれないし、福祉・介護分野でも高齢者を対象としている現場では、むしろポピュラーな観点なのかもしれない。

ただ、私たちの現場では、利用者の「人生の終わり」ばかりに焦点を当てているわけにもいかない。重い障害や難病のため、いつ体調が急変して亡くなってしまうか分からないという側面は確かにある一方、利用者の大半は20~40歳代。「今まさに自身の人生を紡いでいる真っ最中」なのである(いや、もちろん乳幼児~ティーン~高齢者の皆さんだって、それぞれに人生を紡いでいらっしゃることは分かっているんです。ここではいわゆる「現役世代」ぐらいのニュアンスで…)。

つまり、私たちスタッフには、ケアを通じてある利用者の「人生の終わりに向き合う」ことと、その人の「人生/生活を一緒に創り上げていく」こととが「同時並行的に」求められているのである。シビアな仕事と言われればそうなのかもしれないが、「いつどこでどうなるかは分からない――それでも今日を生きていく/暮らしていく/人生を紡いでいく」というのは、実は誰しもに課されていることだ。意識するとしないとにかかわらず。まして障害の有無も関係ない。

その「誰しもに課されていること」への「伴走」を仕事(生業/ナリワイ)にする者として、私は相手の走っている姿=生き様、そしてゴールを駆け抜ける姿=死に様を見届けることになるが、相手に向けられたその眼差しは、同時に私自身にも向けられる。私は如何に走り、如何に駆け抜けるのか?実はそうした「問い」こそが、この仕事へのモチベーションを駆動しているのかもしれない…あくまでも「今の私の場合は」だけれども。

…というような話をもっとグッと短く端折って、件の学生さんにしたんだけれども、多分、たいそうウザがられたことだろう。「この
オッサン、小難しいことしか言わねぇ上に話長ぇよ…」と。その学生さんは採用試験を受けに来ていない(はず)。

備忘録112(2020.08.01)

障害当事者に対する「合理的配慮(マイナスをプラマイゼロにすること)」と「特別扱い(ゼロにプラスすること)」を履き違えている。

その考え違いから「特別扱いしない」ことを口実に差別や侮辱を正当化し、一人の人を死に追いやった。

その差別や侮辱行為こそが(マイナスの意味での)「特別扱い」だということに被告側はまだ気付かないのか。

災害発生時、こうした「合理的配慮」と「特別扱い」の履き違えから、障害当事者が(一般)避難所にいられなくなるというケースをよく耳にする。差別する側は「非常時なんだから障害者だからって特別扱いはできない」と、さも最もらしいことを言うが(実際は「差別」という意味で「特別扱い」しているのだが)、そもそも当事者側の多くが求めているのは「当事者以外の避難者と同じレベルで避難生活を送ること(そのための配慮)」であって「他の避難者より有利になるような何かをプラスαで与えろ」と言っているのではない。そして「非常時」であればこそ、なおさらその「合理的配慮」は当事者にとって死活問題となる。

しかし今回の事件は、この「履き違え」が非常時だけでなく「日常」であっても、障害当事者の死活問題になってしまうことを明らかにした。合理的配慮と特別扱いの「単なる勘違い」では済まされない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ac6b42be1ebaa2b54efcaa24f1723c0b0aaa58ad

備忘録111(2020.07.29)

そう、ALSに罹患していた女性の安楽死事件然り、(この事件を受けての)維新のドンによる「尊厳死について(推進する方向で)真正面から議論しよう」ツイート然り、RA●WI●P●の彼の「ザッツ優生思想」ツイート然り…2016年7月26日のあの出来事は、「風化」どころか「現在進行形」なんだということを思い知らされる。

最近になって?優生思想的な言説が息を吹き返してきた?ことと、新自由主義ネオリベラリズム)的価値観が社会全体を覆いつつある(というか、多くの人々の個々の価値観=内面を侵蝕しつつある)こととが相関関係にあるような気がしてならない。というか、多分そうなんだろう。

教育や学問にしろ、医療や福祉にしろ、さらには個々人の存在自体にしろ、「有用性(役に立つ/立たない)」の判定基準が「お金を稼げるかどうか」一択になりつつある…というか、なってしまった、なって長いこと経つ?

「生きることの価値」=「市場価値(労働力としての価値/資本に寄与することのできる度合い)」一択になりつつある…というか、なってしまった、なって長いこと経つ?

この等式によって「社会的弱者(市場価値がない=生きる価値がない)」にカテゴライズされてしまった人たちが、「それでも何とか死なずに生きていられるようにする仕事」=「福祉の仕事」になってしまっていないか?

今の社会の在り方という「土俵」はそのままに、その「土俵の上で」という条件付きで、「何とか生きていられる」よう支援(サポート)する…それって、あくまで「対症療法」ですよね?

もちろん、その「対症療法」(いわゆる既存の福祉的な支援・サービス)にすらアクセスできていない=潜在化してしまっている当事者も大勢いるはずで、「対症療法」も社会インフラとして不可欠であることは言わずもがなですけど、それでも問いかける必要があると思う。福祉の仕事って、そこ(「対症療法」)で自己完結しちゃっていいんだろうか?

「対症療法」に加えて、上のような等式で「生きることの価値」を勝手に押し付けられるような「土俵」そのものを作り替える「根本治療」までを、自身の仕事の射程圏内に入れることができるかどうか。いわゆる「福祉」関係者にはそこが問われることになる/既に問われている気がしています。

「土俵を作り替える」仕事は、もちろん福祉分野だけでは為し得ませんけれども、今の社会で如何ともしがたい「生きづらさ」を抱える人たちの一番傍に身を置いている、いわば「生きづらさと対峙する最前線」を担っているのが私たち福祉関係者なのだとしたら、私たちが果たす役割は私たちが思っている以上に大きいのではないかと思っています。

私たちは、もっとラディカルになっていい。暴動とか武力革命を起こすとか、そういう意味じゃなくて(それはそれで意味はあるんだろうけど)、もっと社会や人間の「根っこ」「そもそも」部分に切り込むという意味で。

「生きづらさ」を「障害」と呼ぶとしたら、「この世に『健常者』なんてそもそも存在しない」=「みんな(私もあなたも)障害者でしょ?」--それぐらいの、ちゃぶ台返しみたいな認識からスタートしたっていいんじゃない?


【補記】
https://www.jiji.com/sp/article?k=2020072900915&g=pol

https://twitter.com/oishiakiko/status/1286511690943627270?s=19

尊厳死安楽死の推進→医療費と社会保障費のカット=税金の節約(コストカット)に成功!→小さな政府万歳!選択と集中ネオリベ万歳!

…的な思考回路が見え透き過ぎてキモい。


https://twitter.com/NatsukiYasuda/status/1286856431182819329?s=19

https://mainichi.jp/articles/20200727/k00/00m/040/128000c.amp?__twitter_impression=true

http://blog.tatsuru.com/2020/06/12_1352.html

https://toroo4ever.blogspot.com/2020/04/blog-post.html?m=1

備忘録110(2020.05.28)

「インフラ=infrastructure」の対義語は「スーパー(スープラ)=superstructure」らしい。普通、インフラは「社会基盤」と訳されるけれども、原義的にはインフラ=下部構造、スープラ=上部構造。マルクスも用いた概念で、私も勉強不足で詳しくは知らないんだけれども、いろいろ総合すると、インフラ=「実体があってsolidなもの」、スープラ=「実体がない/あっても掴みにくい/変化しやすいliquidなもの」というイメージに落ち着きました

で、今回のコロナ禍で感じたことの一つが、「公的サービスとしての障害者福祉や介護って、やっぱりインフラ(社会基盤)なんだなぁ」ということ。

「それが無いと困る人が大勢いる」=インフラとして社会的にも認知されているから、障害福祉サービス事業所は基本的に休業要請の対象にはならなかったし、生活介護(障害者版デイサービス)なんか、臨時的な取扱いとして、「自宅(訪問)支援」や「電話による相談対応」を「生活介護(通所)サービスを提供したものとみなす」という救済?措置まで設けられたほど。

そうした状況に置かれて、改めて「あ、そう言えばインフラだったのね、うちらの仕事は。ちょっと忘れかけてたけど…」てなもんです。

いや、世間一般的には、コロナ禍云々にかかわらず、そもそも社会保障費で回っている=制度化されている時点で「そりゃ、インフラに決まってんでしょ(今更何を仰っているの?)」という認識なんでしょうけど、「制度化以前」の障害者福祉や介護って、一部の当事者や有志に支えられたある種の「スープラ(思想・概念・イデオロギー)」的な要素が強かった思うんですね。

支援やケアがソリッドなもの(手堅いもの)として社会的に定着していたわけではなく、家族や一部のボランティアや篤志家?によって何とかやりくりしていたリキッドなもの(それを取り巻く状況が流動的で常に存続の危機に瀕しているもの)だった。

それを、私なんかには想像もつかないような先人達の血と汗と涙によって「インフラ」に「した」んですよね…。でも私と同世代か、それより若い世代になってくると、地域差もあるかもしれないけれど、大抵は障害者福祉や介護が「最初から」インフラとして認知されている状況下でこの業界に関わるようになる。

すると、既にインフラ化した障害者福祉・介護の仕事=ルーティン化した仕事→物足りない→何か「+α」的なことをクリエイトしたい!という動機でこの業界に入ってくる人たちが常に一定数は存在するようになってくる。

(※もちろん、必ずしもインフラ化=ルーティン化ではないし、そもそもルーティン=ネガティブなものと決めてかかる態度自体にも違和感はある。支援・介護…というか「ケア」というのはもっともっと奥深い、根深いものなんだけれども、表層的にはインフラ=ルーティン=単純で退屈に見えないこともない。)

仮にこの「+α的なこと」を、まだクリエイトされていない「未成形のもの」「ケア(支援・介護~仕事の基礎)の“上”に成り立つ何やら高尚チックなもの」という意味で「スープラ」と考えるなら、先人たちの「障害者福祉・介護をスープラからインフラにするぞ!(カタチになっていないものをカタチにするぞ!=制度によって保障されていないものを保障させるぞ!)」とは真逆の、「障害者福祉・介護をインフラからスープラにするぞ!(制度による保障でカタチが定まってしまった硬直状態から脱却するぞ!)」みたいなモチベーションが現在は成立していることになる。

私自身も、いつの頃からか、もろにこの「スープラ志向」で突っ走ってきたクチだと思う。だからこそ、今回のコロナ禍が契機となって「あっ、そう言えばうちらの仕事って(世間的には)インフラやったんやな…」と「再確認」させられた、みたいなところがある。

しかし、である。「スープラ志向」によって、某かの新しい取り組みをクリエイトしたとして、結局のところ、それが「現場(支援やケアの現場+人々の日常生活の現場)」に何らかのカタチをもって根付かない限りは、ただの机上の空論、観念の遊戯みたいなもので終わってしまう。つまり、いかに「スープラ志向」で意識高い系?を気取ってみたところで、自分の取り組みに意味を持たせるためには、その取り組みに実体を持たせる=インフラ化することを目指さざるを得ない。

考えてみれば単純で、現状のスタンダードに疑問を持つ→新しい取り組みを起こす→それを新しいスタンダードにする→その新しいスタンダードに疑問を持つ人が出てくる→更に新しい取り組みが起こる→更に新しいスタンダードが生まれる→…(以下、繰り返し)

保守→革新→保守→革新→保守→…みたいな輪廻からは抜け出せないし、別に無理して抜け出す必要もない。「スープラ志向」で仕事をしたければ、①「保守(インフラ)→革新(スープラ)」の過程に身を置くか、②「革新(スープラ)→保守(インフラ)」の過程に身を置くか、あるいは③両方の過程に当事者として関わるか、恐らくこの①~③しか選択肢はないし、①~③のどれを採っても大変で、でもきっとその大変さに見合う手応えややりがいはある。

ただ、それを8時間/日(40時間/週)の「労働」基準の範囲でやれるかどうかは、業界によっても、個々の職場によっても、大きく環境が異なるだろうし、ここでも「労働(ライフ=ワークバランスの“ワーク”)」と「仕事(ライフワークの“ワーク”)」の狭間で葛藤を余儀なくされる人は少なくないだろう。うちの職場にもそういう若手・中堅スタッフをちらほら見かけるし、私自身もこの辺の葛藤で日々ブレまくりなのであります。

そして、コロナ禍を含めた災害時=「有事」の時ほど、福祉の現場には「インフラ」としての機能が求められることは先述の通り再確認済みで疑いようもなく(欠かせない社会基盤として認知されているってことで、それ自体は決してネガティブなことではないんだけど…)、「現場を回すことが最優先」的空気が「平時以上に」現場を包み込む。

私は、そんな空気に時には意気消沈しつつも、虎視眈々と「①保守→革新(既存のインフラをじっくり吟味して課題・問題点をスープラとして抽出する)」「②革新→保守(抽出したスープラを新しいインフラとして実体化する)」に取り組む機会を窺う、地に足の着いた?粘着質系「スープラ志向」スタッフでありたいと思うし、そういう同志?がいたら、何とかしてお互いに支え合いたいという思いを新たにするのでした。