備忘録74(2019.05.22)

【障害者福祉という生業(ナリワイ)①】

障害者と呼ばれる人たちと関わることを自身の「生業」としてから丸12年(ちょうど年男だったなぁ…)。

最初は、「食べていく」という意味でも、「ライフワーク」という意味でも、彼ら/彼女らと関わることを「仕事」にできることを無邪気に喜んでいた。

けれども、このたった?12年の間に、そのことを素直には喜べなくなってきた…というか、「食べていく」という意味での「生業」を通じた関わり方では、彼ら/彼女ら一人一人に寄り添い抜くことは不可能なのではないかと思い始めている。

(いやー、「そんなん、最初から不可能に決まってるやん」と既に看破されている先達もおられるやも…そして、私の言う「寄り添い抜く」とは何なのかもちゃんと定義を明示しとかんとあかんでした。すいません。)

その原因を社会的なシステムをはじめとする環境に帰着させることが妥当なのか、はたまた単に私個人の力量不足が問題なのかについては、きちんと考察しなければならないのだけれども、どうもこの「ナリワイ」の在り方が引っ掛かり始めている。

つづく…(たぶん)