備忘録69(2019.02.05)

「障碍」も「障がい」も、どちらにも何か違和感を覚えてしまう…。どちらも「害」の字を忌避する理由が、「障害」を当事者に帰着させる捉え方に基づいているように見えるからでしょうか。

まずもって理屈がよく分からない。「『害』の字は他人を害するなど否定的なイメージがある」って、まさか「障害者が他人を傷付ける人たちだと思われる」から、字を変えるってことじゃないですよね?

うーん、よく分からん。「障害者」がそう呼ばれる原因は、当事者ではなく「社会の側にある」っていうのが基本的な考え方ではなかったでしたっけ?

「今の社会の在り方(システムや通念など)に問題があるから、もろに生活に支障をきたしてしまう/放っておくと人間らしく生きていくのが困難になる人」を「障害者」と呼ぶのではなかったでしょうか?その人が生きていく上での「障害」って、あくまでも「社会が生み出しているもの」であって、「その人自身に帰属するもの」ではないと。

だとすると、「障害」を「障がい」と平仮名にして「害」の意味を無効化するのって、実は「社会の側の責任放棄」あるいは「責任の隠蔽」なんじゃないかって思うんですよね。

「碍」にしたところで、「害=傷付ける」が「碍=妨げる」になることで、ちょっと言葉の「切っ先」がやわらぐってだけのことです。もっと根本的な--「心身に問題を抱えているから障害者」じゃなくて「今の社会の在り方に問題があるために生き辛さを抱えざるを得ない/人間らしい生き方を妨げられているから障害者」--というところを踏まえてないんだったら何の意味もない。

だから「社会の側」が果たすべき役割を誤魔化すことなく自覚するためにも、「害」はそのままにしておいたほうがいいんじゃないでしょうか。

…って、これは別に私オリジナルの考え方ではなく、割と最近あちこちから小耳に挟む声です。一周回ってやっぱり「害」やろと。

https://mainichi.jp/articles/20190204/k00/00m/040/206000c?fm=newssuite