備忘録90(2019.08.27)

京都アニメーション放火の犠牲者25名の方々の実名が公表された(これで35名全員)。ここでどうしても頭を過るのは、相模原事件で殺害された方々のこと。3年経った今も実名は非公表のまま。

実名公表の是非については、いろいろな意見があるだろうし、二つの事件を取り巻く事情の違いもあるのだろうけど…それでも「何で?」と思ってしまう。

もちろん「無名」のままでは悼むことができないということではないけれど、「○名が亡くなった(殺された)」と「●●さん、▲▲さん、…さんが亡くなった(殺された)」とでは、「その人が確かにこの世に存在していた」ことに対する実感の「重み」に雲泥の差がある。

そのことに関しては「京アニ」も「やまゆり園」も差異はないはずだが…。パラリンピックで大騒ぎするのもいいけれど、そこに障害当事者と向き合うことの本質がどれほど含まれているのかしら。