備忘録109(2020.04.30)
エビデンスを示さない政府と、エビデンスが示されなくても「お達し」に唯々諾々と従う国民(あまつさえ政権批判の封じ込めや相互監視を“善意で”買って出る国民も一定数いる)…そんな地獄のような取り合わせで「一致団結!Stay home!」とか言われても、恐怖しか感じない。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1255659894591549440?s=19
「緊急事態宣言延長」の判断基準=根拠(エビデンス)として、「感染状況(感染者数)」を自ら挙げておきながら、「で、現在の国内感染者数は?」と問われると、メディアで四六時中報じられている「感染『確認』者数」すら即答できない。挙げ句の果てに「現在の感染者数は何名かなんて、事前の質問通告に書かれていないから答えられない」だとさ。
もちろん、日本在住(+滞在)者全員の検査なんて到底無理なわけだから、「感染者の『実数』」なんてのは誰にも分からない。けれども、その「実数に少しでも近いデータ」を得るため、引いてはそのデータに基づく合理的な対策を打つために「検査拡充を!」ってもうかれこれ2ヶ月以上は言われ続けているのに、未だに増えない検査件数。
これって、もう、政府は「エビデンス(に基づく合理的な対策)なんか最初から考えてません。『なんとなく』の雰囲気と『思い付き』で決めてるんで」と宣言しているに等しいんですけど…
何度でも言いますけど、今回のコロナ禍、こと日本については「ほぼ人災」としか思えません。
https://twitter.com/cIHtcCLzQtI7ZPX/status/1255424764153298946?s=09
ほんま、一体、何百人?何千人?何万人?死んだら真剣に取り組んでもらえるのか、あるいは辞めてもらえるのか。
https://twitter.com/JCyouli/status/1255298860173402115?s=09
中小企業や個人事業主向けの「持続化給付金」。その大きな対象要件がコロナ禍の影響で事業収入が「50%以上減収」なんだけれども、「何故50%が基準?」と問われると「お金(組める予算)には限度がある=どこかで線引きしないといけない」からだと。はい?その「限度=線引き」の根拠(=事業収入50%以上減の事業者しか救済対象にできない根拠)を示してくれと言うとるのに、具体的な予算額などを示して説明するでもなく、「(何となく)お金が無いから」なんて「エビデンス」でもなんでもないってば。
そこで(胡散臭い都知事じゃなくて、信用できるほうの)小池さんがピシャリと指摘。「Go toキャンペーン」1.7兆円?今すぐ慌てて手当てする必要のない大企業向けの出資枠1,000億円?アベノマスク466億円?…
中小企業や個人事業主だけでなく、医療現場、学生、文化芸術分野の人たち、非正規労働者…「命や暮らしを繋ぐために一刻を争う人たち」に対してもっと手厚い支援を実現するためのお金…
あるじゃないですか!
https://twitter.com/TadTwi2011/status/1255777551894507521?s=09
備忘録108(2020.04.23)
橋下さんや吉村知事のメディア露出が増えていますが、その露出の仕方も、どこかメディア側が「もてはやしている」雰囲気が感じられて、とても不気味です。
住吉市民病院を潰したのは誰か、府立母子医療センターが保育器購入の費用をクラウドファンディングで集めなければならないほど予算を付け渋っていたのは誰か…他ならぬ維新の政治家たちです。
今回の十三市民病院の「コロナ中等症患者専従化」が、病院関係者や患者の知らないところでぶち上げられたことも含めて、維新は小児医療や周産期医療に恨みでもあるのか?と思いたくなるようなことばかりです。
「選択と集中」を旨とするネオリベ的な政策を、医療や教育や福祉の領域にまで節操なく持ち込んで、大切な社会インフラを散々ぶっ壊しといて、今さらドヤ顔でコロナ関連の体制整備に迅速に?対応しているポーズを取られても困ります。マッチポンプです、そんなの。
https://twitter.com/murekinnoto/status/1252943092535066624?s=19
備忘録107(2020.04.16)
【こんな非常時に憲法かよ!?】
今自民党がどさくさに紛れてコソコソ?進めている「緊急事態条項」の話ではありません。(それはそれで捨て置けんのですけど…)
皆さん、知ってました?私知らなかったんですけど、政府が国民の命や生活や自由や権利を脅かしたり踏みにじったりする時、国民がそれを批判したり抵抗したりすることは、「権利として許されている」んじゃなくて「義務」らしいですよ。
日本国憲法第12条:
【この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。…(後略)】
憲法を最終的に今の条文に仕上げた当時の人たち、すごいですね。戦後日本の民主制が、自分たちの血と汗と涙で勝ち取ったものではなくて、戦争で完膚なきまでに叩きのめされた相手(アメリカ様)に「恵んでもらったもの」だということや、元々「革命向きじゃない」国民性なんかに対して自覚的でないと、この条文は作れないんじゃないかと思います。
12条は、現代を生きる私たちへの、敗戦当時の賢人たちからのメッセージ(というより警告)なんですね、きっと。「ええか、お前ら、戦争が終わったから言うて、のほほんと平和ボケしとったらアカンで。ワシら=お前らの性分からして、油断しとったらまたすぐに『お国』のために死なないかんようになるで。そうならんように、くれぐれも国家権力の監視を怠りなや…コレがワシらからの遺言や。よう覚えとき。」
やり方は人それぞれかもしれませんけど、批判、しなきゃいけないんです。抵抗、しなきゃいけないんです。
〈追記〉
衆院で今日審議入りしたってよ…
ほら、出たよ、火事場泥棒
https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2020040902000119.html
https://twitter.com/tbs_news/status/1250804874821857280?s=19
備忘録106(2020.04.14)
本音を言うときはちゃんと原稿読まずに喋れるんですね。
コロナ禍で生き死にが懸かっている人たちが少なからずいる中で、頑として税金を使い渋る行動原理がコレなんですね。
「税金」は、封建領主が領民から吸い上げる「年貢」でもねぇし、ヤクザがナワバリで商売してる人から取り立てる「みかじめ料」でもねぇんだぞって、基本の「キ」を誰か教えてあげてください。いや、「みかじめ料」は一応「用心棒の対価」だから、商売人にも「守ってもらえる」というリターンがちゃんとあるのか…。
そんなんは置いといて…普通、人の発言というのは、それが「いつ」「どんな状況で」「どんな文脈で」なされた発言なのかをきちんと吟味する必要があると思います。でもコレは、少なくとも戦後の日本社会では、どんな状況や文脈でも、国会議員が公言したらあかんタイプの発言じゃなかろうかい?本音がどうあれ、建前上は「納税者の皆様からお預かりしたもの」と言わなきゃいけないんでないかい?
「建前」って、結構ネガティブなニュアンスで使うことが多いですけど、本来は建築用語?「建物の主要な柱や梁や棟木などを組み上げること」だそうです。ここから転じて「物事の基本的な方針や原則」という意味になりました。
実はめちゃめちゃ大事なものなんですね。
個人の本音がどうであろうと、この建前(原則)が一定程度きちんと機能していないと、建物(組織/社会)はあっという間に崩壊します。行政のトップがどうしようもない人であるにもかかわらず、日本社会が息も絶え絶えかもしれませんけど一応何とか「回っている」のは、社会やいろんな組織の建前(原則)が、一定水準で構成員一人一人の行動を律してくれているからなんだと思います。建前(原則)って、ほんまバカにしちゃいけないんです。
建前をかなぐり捨てて、露骨な本音だけで振る舞っているのが今の政権だと思うのですが、それはつまり、日本社会を、柱も梁も無い、吹けば飛ぶようなボロ小屋に変容させていっているのと同じことです。せっせと一生懸命、社会を壊しているんです、彼らは。
そんな歴代最長かつ現在進行形の破壊行動に加えて、今回のコロナ禍ですよ。非常時なんだから文句ばかり言うな?違うんです。非常時「だから」一刻も早く引き下がっていただかないとダメなんです。
備忘録105(2020.04.12)
SNSで政府や自治体の対応を批判したり、医療従事者や宅配スタッフなどへの心ない差別を止めるよう呼び掛けたり、自身の窮状を訴えたりすること、そうした誰かの発信をリツイートして拡散したり「いいね!」することで共感を示すこと…これらも歴とした「今、私たちにできること」の一つであることを忘れないようにしたい。
「私一人が一言呟いたからって、どうせ何も変わらない」と諦める必要はないと思います。その「一言の呟き」「一回の『いいね!』タップ」が、「ネット世論」という大きなうねりとなって、社会や人々の行動に大きな影響を及ぼすことは言わずもがなです(もちろん影響の良し悪しはあるけれど)。
「ノイジーマジョリティ」を形成して、行政の施策を改善させたり、差別や偏見の助長を食い止めることもまた、手洗いや手消毒、外出自粛や社会的距離の確保に粛々と取り組むのと同じぐらい、この危機による被害を最小限に抑えるためにに必要なことだし、可能なことです。
私たちは、もっと怒っていいし、もっと叫んでいいんです。
備忘録104(2020.04.09)
ここでいう「責任」は恐らく「辞任」に置き換えることができるので、「辞任すれば済むという話ではない」というニュアンスなら、それは仰る通り。個人的には辞任だけじゃなくて、モリカケや桜の件も含めて、きちんと刑事罰も引き受けてもらわないと納得できません。あるいは、今すぐ辞任してもらうことで、少しでも犠牲者が減るとすれば、それはそれでとっとと辞任てもらいたいとも思いますが…それは置いといて(本当は置いとけないけど)…
何がヒドイって、相手が「イタリア人記者」だと分かっていて、「日本は(ダメダメな)あなたの国とは違うんです」って侮辱まがいの言葉を投げつけてるんですよね、この人。あり得ない。何故ここで「質問にお答えする前に、イタリアでも大勢の方が感染で苦しまれていたり、亡くなられたりしている。まずはお見舞いと哀悼の意を表したい。」ぐらいのことが言えんかね(もちろん、プロンプターや原稿無しで)。
この人が(他)人の苦しみや命に全く無関心であることが、ここからも窺い知れる。政府の対応施策の一つ一つが日本に住まう人たちの「生き死に」を左右することに対して、この期に及んでも無自覚というのは、はっきり言って有害としか言い様がありません。
それに、「あなたの国とは違うんです」の根拠にしている「感染者数」だって、あくまでも感染「確認数」ですからね。どう考えても「実数」じゃない。だって、そもそもちゃんと検査してないんだから。すると「感染死亡者数」だって正確かどうか怪しい。メディアもいい加減「感染者数」って言うのやめてほしい。「感染が確認できた(感染確認せざるを得なかった?)人数」と言うてくれ。
感染者数という一番基本的なデータすら正確かどうか疑わしい、ということはそこから導き出される対策もエビデンスに乏しくなる。実際、根拠の示せない単なる「思い付き」の施策ばかりで、さらにその「思い付き」が「生活者の実感/実態」から驚くほど乖離している(アベノマスクもそう、補償とセットになっていない外出自粛・休業要請もそう、現金給付の出し渋りもそう…枚挙に暇がない)。この「乖離」が文字通り「致命的」=人々の命が損なわれるレベルなんだと思います。
完全に「人災」です、こんなの。
備忘録103(2020.03.25)
日本のニュース番組は、東京五輪の延期報道とかどうでもええから、メルケル首相のこの国民向け演説を日本語字幕付きで全部放送してくれへんやろうか…
どこぞの国の首相の、薄っぺらくて重みが全く感じられない、情理が全く尽くされていない会見と是非とも比較してみてほしい。
ここでは例として?3点ほどツッコミを入れておきたい。
①まずもって…メルケル首相は原稿を読んでいない(仮に目線の向こうにカンペがあるとしても、明らかに「国民一人一人に語りかける」トーンや姿勢であることが見て取れる)。反対にどこぞの国の首相は、用意された原稿をただ読み上げるだけ。一国の首相である「(公人としての)自身の言葉」に対する向き合い方からして雲泥の差がある。
②メルケル首相が、医療スタッフやスーパーマーケットの従業員など、この大変な状況下で「人命」や「食料・日用品の供給」を支える「現場の人たち」に対する「感謝」を表明している点も、自身の「仕事やってる感」を演出するのに必死で、他人=国民の「命や暮らし」にはまるで興味関心を持たない某国首相には望むべくもない姿勢だろう。
③「連邦政府=公的機関の発信する情報だけを信じてください~デマに振り回されないでください」というメッセージは、ドイツのような国でこそ意味を持つのだろうけれど、極東の某島国では、「政府=公的機関の言うこと自体がデマ/嘘」であるケースがしばしばなわけで、仮に同じ言葉を某国首相が発しようものなら、すぐさま「あんたらの言うことが一番信用ならねぇんだよ…」とツッコまざるを得ない。