備忘録100(2020.01.15)

藪からスティックに、妹から2枚の写真がLINEで送られてきた。若かりし頃の母方の祖父。

これ、我が家的にはかなりの衝撃。母方の祖父(ケイジさん)は、母が小学校高学年の頃に亡くなっている。もう60年近く前のこと。なので、私は当然ケイジさんに会ったことがない。

おまけに、母の実家は母が10代後半ぐらいの頃に火事で一度焼失しており、その時にケイジさんの写真も全て燃えてしまったということで、私はケイジさんの顔を写真ですら見たことがなかったのです。

ところが、母の実家に今も暮らす伯母夫妻が年末大掃除をしていたら…なんとこの2枚の写真が突如「出土」したらしい。これには母も母の兄弟たちもビックリ!遺影も含めててっきり全て灰に帰したと思っていた「父の顔」を、半世紀以上ぶりに目にしたのだから、その驚きというか、感激たるや如何ほどのものだったろう。

私は私で、そろそろアラフォーに片足を突っ込もうかという年になって、生まれて初めて祖父の顔を目にした衝撃と感動は一入なんだけれども、それよりも何よりも、この写真を見たときの第一声は「おいおい!似すぎやろっ!」であった。的確なツッコミであった。

ケイジさんは、私含め、叔父や従兄弟たちなど、母方の男連中のほとんど全員とクリソツ過ぎるのである。面長で、エラが張ってて、彫りが深めで…「あー、おれのDNAは間違いなくこの人のを引き継いどるんやな」というのが丸分かりなご尊顔なのである。

そんなケイジさん、写真からも分かるように、元々は海軍の職業軍人でした。海軍経理学校を卒業して主計将校として仕事してたんだとか…。ほんで、母方の祖母(エイコさん)は、海軍工廠の役員か何かの家庭に生まれた娘さんで、エイコさんのお家に下宿しながら鎮守府とかで働いていたケイジさんがエイコさんと結ばれて…みたいな「ファミリーヒストリー」らしい。

親戚を辿ればどっかで必ず海軍さんに行き当たる…というのはやはり「佐世保人あるある」なんでしょうか?

今年の年末大掃除では、エイコさんの若い頃の写真が「出土」してくれたら嬉しいなぁ。エイコさんも私が2歳ぐらいの時に亡くなっちゃってて顔を全然覚えてないし、写真もあんまり見たことがないんです。

みゆき伯母ちゃん、よろしくお願いします(笑)

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備忘録99(2020.01.06)

10年以上苦楽を共にしてきた相棒が、ついにここまで「カッコ悪く」なってしまった。さすがにこれは酷いっしょ…。

メンソールじゃないほうのパッケージなんか、往時は新幹線のカラーリング(青と白)のモチーフにまでなったほどのスタイリッシュさを誇っていたというのに(NHKチコちゃんに叱られる」調べ)…。

なんぼ喫煙人口を減らすためとは言え、この無粋な注意書はなんとかならんもんかね?煙草に限らず、今世間はこれに似た「過度な注意書」で溢れている。宅配トラックの「私は法定速度を守って運転します。お先にどうぞ」ステッカーとか、「車の下に潜り込まないでネ」ステッカーとか、テレビ番組に出てくる「※個人の感想です」スーパーとか「※諸説あります」スーパーとか…

「んなこたぁ、言われんでも分かっとるわい!」な注意書のオンパレードのせいで、いろんなモノのデザインが持つカッコよさや風情なんかがたちどころに消し飛んでしまう。

「んなこたぁ、言われんでも分かっとるわい!」なことでも書いて(明示して)おかないと、コンプラがどうじゃの、訴訟起こされたら勝てんだの…

別にそういう過度な注意書を「書いている」側に腹を立てたり、失望しているわけではありません。逆です。お気の毒に…ぐらいに同情さえ覚えます。反対に、過度なまでの注意書がなければ「コンプラ違反だ!」と騒ぐ連中や、訴訟を起こすような連中にこそ、腹が立つし、失望しています。

「んなこたぁ、言われんでも分かっとるわい!」なことは、文字通り、わざわざ明示しなくても「織り込み済み」なわけです。

煙草が身体に悪いことは「誰でも」知ってるし、乗用車が法定速度を守らないといけないことも、子どもが車の下に潜り込んで遊んだら危ないことも、通販番組でインタビュー受けてる人の感想があくまで個人的なものであることも、テレビで言っていることに諸説あることも…「みんな」分かってるんです。「一定程度のリテラシーを備えている人なら」という条件付きで。

つまり、ここで「コンプラ違反だ!」と騒ぎ立て、自分の落ち度で損害を被ったくせに「この損害はちゃんと注意書があれば防げたはずだ!」と訴訟を起こす連中は、この「織り込み済み」であるところの常識を物事から読み取ることのできるリテラシーが「欠如」していることを、自ら吹聴しているのと同じだと思いませんか?「私は非常識なおバカさんです!」って大声で宣言しているようなもの。

そして、そういう連中の「声」によって、世間にここまで「んなこたぁ、言われんでも分かっとるわい!」が溢れるようになってしまったということは、その「声」に「一理あり」とする社会通念が既に出来上がってしまっていることを意味します。でもそれって…「日本社会はリテラシーと常識の欠如したおバカ社会です」宣言に等しい気がするのですが…。

煙草のパッケージ一つを眺めているだけでも、世知辛く、無粋な世の中になっちまったもんだ…はぁー…と、深い溜め息をつかずにはおれない、そんな2020年がスタートしたのでした。
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備忘録98(2019.12.28)

田中さんのNPO(ソーシャルセクター)批評?にはいつも「うーむ…なるほど…」と唸ったり、「そうだそうだっ」と心の中で共感の声を上げたりしている。

今回の記事を読んだ率直な感想は、「スマート感」や「オサレ感」を漂わせている一部の「成功者的(に振る舞う)NPO」に対する自分の違和感や嫌悪感が、単なるルサンチマン?恨み節?ではなかったのかもな、と安堵したというか、何ならそういう自分の感覚を後押ししてもらった?ような心地がした…というもの。

別にNPOが「スマートであること」や「オサレであること」が悪い/気に入らないというのではない。「スマート感」や「オサレ感」の「感=表層」しか見えてこない(というか、見せない)、実際の「現場の泥臭さ」が全く匂ってこない(というか、匂わせない)というスタンスに対する違和感というか、胡散臭さのお話。

いや、それだけじゃないな…。何というか…今の日本のネオリベ的潮流(何でもかんでも企業・市場型ロジックで処理しようとするとか、「小さな政府」指向とか、自己責任型社会指向とか…)に乗っかって、ヒトやカネを集めることに成功した組織独特の「マウント感」に辟易しているという方がピッタリくるかも。

実際にそういうNPOの取り組みで救われた、助かったという「当事者」の方も相当数はいらっしゃるわけで、別にそういうNPOを全否定するつもりは全然ないですし、記事にあるような「リア充(勝ち組)」的代表者に率いられたNPOには「本当の当事者支援はできない」=「当事者にしか当事者は救えない」と言うつもりもありません。

でもね…ちょっと言葉にするのは憚られますけど敢えて言うなら、自身の「リア充(勝ち組)」的価値観や感性に無自覚なまま「当事者」と向き合うことって、ともすると「当事者を利用して自分(たち)の『市場価値』を高めている」ように見えなくもないですよと…。

自分自身も組織の採用活動の一部やら、インターンシップ受け入れやらを担当しながら、「虚偽ではないにせよ特に意味も中身も無い単に『(就活)市場ウケ』しそうなアプローチ」の片棒を担がされているような実感がある。

人材は必要ですし、カネも必要ですよ。でもね、「何かズレてません?」という感覚がどうしても拭えない。こんなどうしようもない違和感を抱えた状態なので、「今一番やりたくない仕事は?」と問われたら、間違いなく「ファンドレイジング」と答えることでしょう…なんつって。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20191225-00156316/

備忘録97(2019.12.19)

「なぜ民事で争わねばならなかったのか」=「なぜ刑事事件にならなかったのか」が追及されない限り、本当の被害者救済や社会秩序の維持は程遠く…。

「判決では『酩酊状態にあって意識のない原告に対し、合意のないまま本件行為に及んだ事実、意識を回復して性行為を拒絶したあとも体を押さえつけて性行為を継続しようとした事実を認めることができる』として、山口さんの不法行為が認定された。」

これ、判決文ですよ?これ、「民事」の判決文ですよ?これ、明らかに「刑事(犯罪)」でしょ?あり得ない…。

山口氏(言わずと知れた“アベ友”)の「犯罪行為」が何故「無かったことにされた」のか。伊藤さんからの告発を受理しながら逮捕状の執行を差し止めた警察、不起訴処分を下した検察、不起訴相当の結論を出した検察審査会…何のためにあなた方は存在しているのでしょうか?


https://m.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5df8ec48e4b047e888a4d46e?ncid=other_facebook_eucluwzme5k&utm_campaign=share_facebook

備忘録96(2019.12.18)

今日は相談支援従事者の初任者研修。例によって集団指導(←これ、業界用語だよね)よろしくただの「踏み絵集会」で苦痛でしかなかったんですが、最後の講義1コマだけが異様に聴き応えがありました。

障害者虐待防止の講義でしたが、事業所スタッフによる虐待の背景の一つとして、「アイデンティティを確認できる対象が利用者しかいない」という職場環境が挙げられていました。

「自分が価値ある存在であること」を確認できる相手が「利用者しかいない」--最初は利用者に対する働きかけで本人から感謝されたり、本人が笑顔になってくれることが「やりがい」だったけれども、それが徐々に感謝や笑顔の「強要」→「支配的(管理的)な関わり方」へと移行していき、虐待につながっていくという…

仕事での自己肯定感を感得できる機会が「利用者との関わり」に限定されることを防ぐためには、先輩や上司も含めた「同僚」からの励ましであったり、称賛であったり、時には情理を尽くした叱責・指導であったりといったコミュニケーションが機能する「職員コミュニティ」の存在が重要なファクターになってくると…。

いつぞや私も愚痴ってしまいました。そう、職場での承認欲求をどう充足させるか問題…これもモロに絡んでくるなぁ…と。やべ、おれ、虐待加害者予備軍じゃんと、講義を聴きながら一人ビビっておりました。

それと、いわゆる「バーンアウトシンドローム」って、バーンアウト=燃え尽き=「完全燃焼」をイメージしてるんでしょうけど、こと福祉の業界で多いのは「不完全燃焼症候群」なんだとか…

利用者のケアや支援に当たって、「もっとこうしたらいいのに」「自分のやっていることは間違ったケア/支援じゃないのかな?大丈夫かな?」…などなど、モヤモヤを抱えている時に、「自分の裁量が分からない」し、「誰も評価してくれない」し、仮に声を上げても「何も変わらない」し…そこに由来する「諦め」が元になって、「辞める」か「今の職場の在り方に自分を染める」かの二者択一を迫られて疲弊していく…

労働負荷が大き過ぎて「燃え尽きる」んじゃなくて、労働負荷の「かかり方が曖昧」過ぎて、「全力を尽くそうにも尽くせない(燃え尽きようにも燃え切れない)」しんどさ…

これも「職員コミュニティ」の存在と、そこを基点とした組織の「自浄作用」がきちんと稼働すれば解決・改善できるかもしれないのに…

そんな内容の講義だったもんだから、夕方の眠気も吹っ飛んで、ギョギョっと身につまされたのでした。

備忘録95(2019.12.05)

自民党幹部「うまく逃げ切った」
公明党幹部「首相が逃げ勝った」

この人たちの脳味噌は一体どういう構造をしているのだろう?

逃げ切っただの、逃げ勝っただの、それは「逃げなければいけないような(悪い)ことをした」と自認していないとできない発言だろう。犯行の自供と変わらない。実際「桜を見る会」関連疑惑はれっきとした「犯罪案件」なわけやし。

それとも何か、自民党公明党では「なんぼ悪いことしても(罪を犯しても)、逃げおおせれば問題nothing!!(最初からその罪は存在しなかったことにできる!!)」という信条を組織ぐるみで共有していらっしゃるのだろうか?

だとしたら、そんな頭のイカれた皆さんの肝煎りで学校の教科に加えられた「道徳」というのは、子どもたちに一体どんな「人の道」を教え諭すのだろうか?

我が子が学校に通うようになり、仮に「道徳」の成績が悪かったとしたら、私は我が子を「我が家の誇り」に思うだろう。反対に、「道徳」の成績が良かったとしたら、「私の育て方の何が間違っていたのだろう」と猛省するだろう。

どうか我が子には、自民党公明党の面々が持ち合わせていない「良識」を身に付けてもらいたい。切実にそう思う。


https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/564717/

備忘録94(2019.12.04)

https://twitter.com/mainichi/status/1202002069915234304?s=19

↑↑↑おいおい。とうとう言うに事欠いて「障害者」に責任転嫁ときたよ…一体どこまで品性下劣なんだ、この男は…。

自民党にも公明党にも官僚にも司法にも問いたい。こんな男を必死こいて「守る価値」がどこにある?



https://mainichi.jp/articles/20191204/k00/00m/010/077000c.amp?__twitter_impression=true

↑↑↑狂っている…

こんな狂気じみた答弁が罷り通るとしたら、この国は、もう死んでいる…民主主義が死に、日本語が死んだ。