備忘録35(2018.03.10)

いわゆる「事無かれ主義」って、実は「破滅願望」の裏返しなのでは…。「何も起きない/面倒を起こさない」ことを願い続けていると、いつの間にか、いざ目の前で実際に起きた/起こしたミスや不正といった瑕疵を「何も起きなかったことにする」ようになる。「事無かれ主義」→「事無かったですよ主義」への変身。

「事無かったですよ主義」によって無視とか隠蔽を続けてきた瑕疵が積もり積もると、いつか「とんでもない大惨事が起こり得る」ことは頭では分かっているはずなのに、自分の中で既に基底路線化した「見て見ぬふり」や隠蔽を止めることができなくなる。それこそ、本当に大惨事が起こって全てが「まっさら」になるまで。これはもう、無意識的には「(無視と隠蔽の大暴走を始めた自分を止めてくれる)破滅を待望している」としか言いようがない。

「事無かれ主義」を「全う」するつもりなんだったら、それは「大惨事無かれ主義」を標榜する以外にないのでは。大惨事が起こらないようにするためには、そこに至る可能性のある小さな瑕疵の一つ一つを無視することなく、その都度立ち止まって、ちまちまと、地道に解決・修正していくほかない。

本物の?「事無かれ主義者」って、実は誰よりも五感と頭脳をフル稼働して瑕疵を捉え、誰よりも率先してその原因究明と修復(もちろん隠蔽とか改竄という方法は採らない)に取りかかるめちゃめちゃ誠実でアクティブな人なんではなかろうか。

現場レベルでもマネジメントレベルでも、気を付けなきゃなぁ…自戒、自戒。