備忘録8(2016.06.16)

「小・確・幸」(小さいけど確かな幸せ)というのは、「感じ取る」ことが大切なのであって、「追い求める」のは逆にちょっとアブナイ気がする。

日常に埋もれている「小・確・幸」を感じ取る感受性、嗅覚、洞察力は、いわば「小・確・危」(小さいけど確かな危機)を感じ取る力にも通じるものがあって、それは個人にとっても集団にとっても、「危機管理」(危機を未然に防ぐための「改善」「変革」も含めた対応・対策)上、欠かせない資質なんだろうと思う。

一方で「小・確・幸」を「追い求め」ようとするとどうなるか。それは一見、感受性や嗅覚や洞察力に磨きをかけようとすることと同義のようだけど、実際は逆で、いわば「大・漠・憂」(大きくてぼんやりとした不安?)から必死に「逃げ」ようとすることなんじゃなかろうか。

放っておいても視界に入ってくる「大・漠・憂」から逃れるために、物事を見る視野を自ら進んで狭める、狭めた視界の内で見つけた「小・確・幸(のようなもの)」以外はひたすら無視する。こうして、日常を覆っている「大・漠・憂」と正面切って向かい合うことなく、「小・確・危」を察知することもなく、気が付けば、個人も集団も破滅を迎えていた…なんてことになりかねない。

「小・確・幸」は諸刃の剣。