備忘録86(2019.08.03)
「表現の不自由展・その後」での作品展示が「脅迫」と「政治的圧力」によって中止された。まさにこの事象自体によって、「表現の不自由」が日本において現在進行形であることが立証されてしまった。
河村たかし名古屋市長も件の作品「平和の少女像」展示を批判…というか非難し、自ら中止を要請。これ、地元首長が「脅迫」を「後押し」したも同然ですけど、恥ずかしくないんでしょうか?
展示を批判・非難する人たちには「馬の耳に念仏」なのかもしれないけれど、問わずにはおれない。「平和の少女像」は、日本人が過去の歴史と真摯に向き合うための大切な「よすが」の一つだということを何故受け入れられないのか?
「表現の自由」という角度からも、日本人としての「歴史との向き合い方」という角度からも、とうてい許されない暴挙だと思います。
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