備忘録87(2019.08.05)

佐世保で生を受け、育った者として、全ての被爆者と核廃絶のために行動されている方々に対して、心からお詫びを申し上げます。本当に申し訳ありません。

我が故郷が、長崎県の恥、日本の恥に成り下がってしまったことに、憤りを禁じ得ず、誠に慚愧に堪えません。

【追記①】
佐世保市のホームページから直接抗議を申し入れました。

昨日島瀬公園で開催された「原爆写真展」への後援を、教育委員会が拒否したことに対して、抗議します。核廃絶を訴える取り組みが「政治的または宗教的中立性を侵すおそれがある」とする教育委員会の見解は、到底理解できるものではありません。「核廃絶」の取り組みを「支持(後援)しない」ということは、「中立」などではなく、「核武装核兵器の存在」を「支持し」、それに「加担する」行為にほかなりません。唯一の戦争被爆国である日本の、しかも現に被爆者やその子孫を「市民」として抱えている長崎県の市として、何故このような判断を下すことができるのでしょうか?

私は、佐世保で生まれ育ち、小中高と、佐世保で学校教育を受けてきました。そこでは、ヒロシマナガサキの惨禍をはじめ、佐世保大空襲などを通じて、徹底した「平和教育」がなされていました。6/29、8/6、8/9、8/15に鳴り響くサイレンと共に、毎年犠牲者の方々に黙祷を捧げてきました。そして、そのことを佐世保生まれ・佐世保育ちであることの「誇り」と思って、これまで過ごして参りました。

そんな誇るべき我が故郷が、「政治的中立性」を盾に、核兵器禁止条約の批准を拒否する現・日本政府の顔色を伺い、本来であれば世界中のどの国よりも、日本中のどの地域よりも、率先して「核廃絶」の旗を振りかざし、先頭を切って行動していくべき「被爆地」としての役割や矜持を放棄しているこの現状に対して、心からの憤りを禁じ得ず、佐世保で生を受け、育った者として、慚愧に堪えません。

今からでも遅くありません。どうか、現政権への恥ずべき忖度をやめ、被爆長崎県中核市として、堂々と「核廃絶」を訴える、誇るべき「佐世保市」に立ち返ってください。戦後も米軍基地や海上自衛隊の地方総監部が置かれ、常に「戦争と平和」について考える「第一線」であり続けてきた「佐世保」の矜持を、何としても取り戻していただきたいのです。

今回の「原爆写真展」への「後援拒否」の撤回と、次回以降の同展開催に対する後援の確約を、どうか、どうか、お願い致します。

【追記②】
佐世保市教育委員会から回答がありました。

●● 様

佐世保市役所 教育委員会社会教育課の●●と申します。
このたびは、原爆展に対する教育委員会後援の是非に関し、ご意見を賜りありがとうございます。

この件につきましては、新聞等報道の記事にもありますとおり、佐世保市教育委員会として原爆展の開催そのものを否定しているものではなく、写真展も問題なく開催されております。
世界平和や命の尊さ、さらには史実を伝えることは普遍的なものであり、これを写真展という形で表現されることは、市民の皆様に「平和」について考えていただける機会の提供ということで、十分後援に値するものと考えており、●●様のお考えと一致するところでございます。

今回、佐世保市教育委員会において、当該展覧会が後援には至らなかった理由は、該当の催し企画が写真展だけでなく、主催者が推進する特定の取組に対し、賛同を求める行為として「署名活動」が予定されていたことによります。

人・団体にはさまざまな考え・主義・思想・活動があります。これを主張されることは各々の当然の権利であり保護されるものでありますが、その特定の主張に対し「賛同者を募る」もしくは「反対者を募る」という活動に関しては、教育行政として「いずれも法等に反しない限り妨げはしないものの、どれかひとつの考え方を求める活動に“後援”という応援支持をすることは適当でない」と判断したものです。

いずれにしましても、今回の報道にありました件につきましては、展覧会主催者から後援の申請がありました段階で、教育委員会として一定の取扱要領がある上に熟考した中で導き出した判断であり、決して軽々なものではございません。
佐世保市は、「地球環境保全平和都市宣言」において、国に対しては国是たる「非核三原則」の厳守を、核保有国に対しては軍縮の推移と核兵器の究極的な廃絶を求めることを決意し、宣言しているところです。また、ご意見にありますように、平和教育を重視し、犠牲者の方々へ毎年黙祷を捧げることは今も変わりはございません。
このたびの●●様からのご投稿も、貴重なご意見として受け止めさせていただいており、今後に活かしてまいりたい所存でございます。

ご不明な点等がございましたら、下記までご連絡いただきますようよろしくお願いいたします。

【追記③】
回答を受けて…

「特定の取り組みへの賛同または反対を募る」ことが「中立性」を損なう恐れがある…という説明が踏襲されています。賛成や反対を募られる「中身」ではなく、「募る」という行為そのものに加担するのが「アウト」なんやと…

一見最もそうに聞こえますが、やっぱ「逃げ」でしょ、それは。「中身」で是非を判断してほしかったです。

でも、ちゃんと回答してもらっただけでもありがたいと思わないといけないのかな。。


ttps://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e9%95%b7%e5%b4%8e%e3%83%bb%e4%bd%90%e4%b8%96%e4%bf%9d%e5%b8%82%e6%95%99%e5%a7%94%e3%81%8c%e5%8e%9f%e7%88%86%e5%b1%95%e5%be%8c%e6%8f%b4%e3%81%9b%e3%81%9a-%e6%a0%b8%e5%bb%83%e7%b5%b6%e7%bd%b2%e5%90%8d%e3%80%8c%e6%94%bf%e6%b2%bb%e7%9a%84%e4%b8%ad%e7%ab%8b%e4%be%b5%e3%81%99%e6%81%90%e3%82%8c%e3%80%8d/ar-AAFk2bE?ocid=sf