備忘録72(2019.04.08)

選挙の勝因や敗因について、スポーツの試合結果分析よろしく報じているメディアが多いですけど、政治(選挙)の「プレイヤー」って、政治家じゃなくて「有権者」じゃないんですか?

まるで「観客」か「スポーツ記者」のように選挙結果について語るキャスターやコメンテーターたちからは、自身の「有権者」としての当事者意識が全く伝わってこない。それは結局、「視聴者の視点」を観客やスポーツ記者の位置に誘導することになる点でとても罪深いのではないかと思っています。

負けた方の候補や政党の準備不足とか、勝った方の候補や政党の戦術・戦略とか、そんなことはどうでもいいんです。大事なのは、その時「プレイヤー」である「有権者」は何をしていたのか?ではないですか?

投票した有権者=試合に出場したプレイヤーは、何故そのような投票行動=プレイに出たのか、棄権した有権者=試合をボイコットしたプレイヤーは、何故権利を行使しなかったのか=試合を放棄したのか…。どうせ分析するなら、そっちを分析しないと、いつまで経っても「有権者不在の政治」が続いていきます。

これは「勝った」とされる候補者や政党のスタンスの問題でもありますが、「勝った方」の実際の「得票数」って、「全有権者」の何割ですか?せいぜい2割~3割ぐらいじゃなかったでしたっけ?それをさも得意気に「民意」だと呼ばわる。つまり「勝った方」に投票したプレイヤーだけで試合(政治)を動かすことが正当化されてしまっている。

2人か3人の選手だけで野球なりサッカーの試合をするようなもんですよね、これ。そんなの、そもそも試合にならんでしょう。でも「有権者不在の政治」って、そういうことなんです。

だから、「選挙で勝てば何をしてもいい」という政治家や政党のスタンスもさることながら、視聴者を「プレイヤー」の視点ではなく、「観客」の視点に誘導するメディアの罪も相当に重いと言わざるを得ません。キャスターやコメンテーターの方々自身に、「プレイヤー」としての当事者意識が少しでもあるんだったら、まずは「棄権者たち」に対して「一緒に試合に出ようぜ!」とか、「何で試合に来なかったんだ!?」とか、そういう趣旨の報道内容なり主張なりコメントが出ないとおかしいんです。