備忘録40(2018.05.12)

福岡伸一先生ではありませんが…】

「生き物」と「モノ」の境界はどこにあるのでしょうか。

例えば、眼鏡やコンタクトレンズは、それ自体は紛れもない「モノ」ですが、それを使う人にとってはどうでしょう。

それは単なる「モノ」ではなく、むしろ「見る」ためになくてはならない「目」そのものに近いのではないでしょうか。

そのように考えると、眼鏡やコンタクトレンズは、もはや「感覚器官」という「生き物の一部」とも言えます。

写真(リンク先)に写っている「モノ」もまた、ある人たちにとっては、かつて「身体の一部」だったものです。

それ単体では「気管カニューレ」という「モノ」ですが、それはかつて、ある人の「鼻」や「口」の代わりに、酸素を身体の中に送り込み、二酸化炭素を体外に排出するという役割を果たしていたのです。

この小さなシリコン樹脂製の筒が、呼吸という重要な生命活動に欠かせない「器官」だったのです。そうすると、もっと大きな「人工呼吸器」という精密機械も、そこに取り付けられた長い換気ホースなんかも、やはりその使用者にとっては紛うことなき「身体の一部」です。

気管カニューレや人工呼吸器を使っている人たち、その他、経管栄養などを含む医療的ケアを必要とする人たちと、ほぼ毎日一緒に過ごしていると、そういういろんな「モノ」たちが、「モノ」に見えなくなる瞬間があります。

少しニュアンスは異なりますが、そうやって「日常」を見つめ直してみると、例えばごく普通の「木箱」や「革財布」のような日用品すらも「生き物」に見えてくるかも…「彼ら」はかつて、まさに生きた「木」であり「動物」だったわけですから。

「生き物」と「モノ」…その境界はどこにあるのか…

つい昨日ゴミ箱に捨てた私のコンタクトレンズは…やはり昨日までは確かに「私」を成していた、「私」の一部だったのでしょうね。

 

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