備忘録15(2016.11.10)

「一億総活躍社会」って、結局は「国民全員が金儲けのためにひた走ることを強要される社会」のような気がしてきた。

ある人が「活躍しているか/していないか」を計量する基準を「金を儲けているか/儲けていないか」に「一本化しましょう」と言われているようにしか聞こえなくなってきた。

女性の活躍=女性がもっと金を稼げるように…、障害者の活躍=障害者がもっと金を稼げるように…、○○の活躍=○○がもっとカネを…etc.

もちろん「金儲け」自体に非があるとは申し上げていない。ただあくまでも、「金儲け」というものが、価値を計量する数多の物差しや度量衡の「一つ」に甘んじておいてくれなければ困る、という話。

「別に金持ちにならなくてもいいや」と思いながら生きている人が使う物差しや度量衡を、地上から消し去ろうとする所業に対して、それは言語道断と申し上げているだけの話。別に新しい見方でも何でもない、ただのありふれた意見。

それでも言わずにおれない。

社会規模の「儲けたもん勝ちゲーム」に社会の構成員全員が「強制的に」参加させられ、ゲームに「負けたら」あるいはゲームのフィールドから「離脱したら」文字通り「死」というペナルティを課せられる…そういう「最恐のゲーム盤」が着々と拵えられつつある。

「TPP」も詰まるところが、「最恐ゲーム」の「ルール適用範囲」を「環太平洋地域」にまで広げましょうということでしょ?そして、ゲームの「ジャンル」は人々の衣食住、教育、医療、福祉まで網羅してますよと…。

どんなジャンルでも「競争」は必要かもしれない。でもその競争の「勝ち負け」を決める「点数」=「物差し/度量衡」が結局「カネ」に収斂されていくことに対して、イライラしている人(既に暴発しちゃった人)や、いい加減疲れてきた人(既に疲れ果てちゃった人)こそが、実は「一億」の大部分を占めている…のでは?