備忘録4(2016.03.17)

学歴偏重主義が問題なのは、それが、人を評価する物差しの内「学歴以外の物差しをほぼ無視する」という考え方だからだろう。

ただし、うっかりそこで「そもそも学歴なんかを物差しとして使ってはいけない」という問題解決の立て方をしてしまうのは、それはそれでいかがなものかと思う。

「数多の物差しの中の一つ」としてさえ「学歴」を認めない…それはつまるところ、「努力して日本語の運用能力を高めた人間」の一定数を排除することになりはしないか?

日本語の運用能力=日本語リテラシーの価値否定…そこに「反知性主義」の不気味さを嗅ぎ取ろうとするのは神経過敏なのだろうか…