備忘録26(2017.10.05)

カンチガイしてはいけないこと。

今度の選挙は日本社会を「よりよくするための選挙」などというレベルには到底達しない代物だと思います。本来の選挙というものよりも、かなり次元の低い戦いではないかと。

そもそも「解散」のプロセスからしてそうですが、曲がりなりにも戦後70余年続いてきた「議会制民主主義」の政体、そして「法治国家」という国の在り方が、アホな権力者たちによって破壊されそうになっている。それを水際で阻止できるかどうか…という民主国家としての「最低ライン」を維持するための選挙。そう思います。最終目標はあくまでも「赤点の回避」ではないかと。

そうすると、今のところ「赤点回避」のために最も合理的だと考えられる選択肢は「立憲民主・共産・社民」ライン以外にあり得ないですよ。

自民党→議会制民主主義と法治国家破壊の張本人。もはやテロリスト集団。

公明党→権力に阿り、譲歩してよいものとそうでないものとの分別もつかないゴマスリ集団。

■維新・希望→ただの自民党予備軍。ヤクザまがいのヘイト集団。

政権担当能力」とかいう高尚な物差しは使えませんよ、今回は。そんなレベルの話じゃなくて、「人としてどうなんや、お前らは」というホントに次元の低いレベルでしか投票できませんよ、今回は。なんつっても民主国家、法治国家としての「赤点回避」がゴールですから。今回は。

枝野さんや志位さんがここのところ発言している内容って、よく考えたら「当たり前」で「普通」のことだと思います。でもそんな言葉さえも「新鮮に」あるいは「懐かしく」感じてしまう。

今回の選挙が「保守対リベラルではない」というのはそういうこと。枝野さんも、「共産党」の看板を背負う志位さんでさえも、その言説は「戦後日本の民主主義」の「古き良き言説」に通じていると思います。「戦争なんかもう懲り懲りだ。平和ってやっぱりいいね。大切だね。」「自由に物が言えるって嬉しいね。大切だね。」…etc.

つまり70年の歴史を持つ「戦後日本の民主主義」自体がもう既に「保守」の範疇に含まれているということ。そしてその古き良き「戦後日本の民主主義」が生み出したのは限りなくリベラル的な雰囲気だったのではないかと。だから「保守対リベラル」という構図は成立しない。

敢えて二項対立で語るなら「知性対反知性」「寛容対不寛容」「普通の人vsイカれたヘイト系人士」ぐらいのもんではないでしょうか?

私たちの社会が現代の「赤点社会」に落ちぶれないための選挙。「お前らは出来損ないの赤点国家で暮らしている」と世界から笑われないための選挙。「戦後生まれのプライド」にかけて、赤点だけは断固回避しましょうよ。