備忘録23(2017.06.01)

うちの職場の場合は、NPOを名乗ってはいるものの、この記事で語られる「NPO」とはちょっと違う。どちらかというと「社福」の部類(実際に社福の法人格も持っているし)。有り体に言ってしまえば「行政の下請け」をやっているから「食いっぱぐれ」はない。

介護給付費(市民の血税)で生活の糧は確保させていただきつつ、いわゆる「NPO的な」領域にも可能な範囲でアウトリーチしていきましょうというスタンス(大規模な社福法人にはこれが今後義務付けられるらしいけど)。

そのための「NPOと社福=二足のわらじ」なわけで、ある意味では恵まれているし、よくできた仕組みではあるけれど、「NPO的な仕事を求めて」働いているスタッフにとっては、「そうではない」スタッフと同じ環境?待遇?で一緒に仕事をしている、その「温度差と違和感」というのがストレスになってしまい、それに由来する「しんどさ」があるのかもしれない。

でもじゃあそこで「温度差や違和感」をできるだけ小さくしよう思ったら、結局「少数精鋭」にならざるを得ない。それに「思い」だけがあって「実力」が伴わなければただの「少数」だ。

組織内の「温度差や違和感」を極小化した「少数(精鋭)型」は、それこそその「一枚岩」ぶりに支えられた一時的な突破力という点では強いのかもしれない。でもそれと引き換えに「スケールメリット」を捨ててしまった結果、「たった一人のスタッフ」の疲弊~ドロップアウトによって組織が被るダメージは即致命的なものになってしまう。

それに、そもそも「温度差や違和感がない集団」(まぁ滅多にありませんが)というのは、要は価値観なり「物差し」が画一化されているという点で、めちゃめちゃ怖いし、不気味。そして「純血種的なもろさ」が常につきまとう。むしろ「温度差や違和感」が幾重にも絡まっていて、それでも「ゆる~い紐帯で何とかまとまっている」ぐらいの集団のほうが「混血種的なしぶとさ」を持つことができるような気がする。

「温度差や違和感に由来するしんどさ」を「組織内の多様性を担保するためのしんどさ」として割り切った上で、「食いっぱぐれがない」という「安定性」は有り難く享受しつつ(これもいつまで享受できるかは分からないけれども)、「可能な範囲でのNPO的なアウトリーチ」に組織内外の人たちを「ゆる~く」巻き込んでいく…というのが、うちの職場の場合は現実的なのかもしれない。

そしてきっと、この「ゆる~く」というところがミソ。「ゆる~く」というか「柔らかく」というか…。記事で田中さんが仰るような「ソーシャル疲れ」引いては「ポリコレ疲れ」が社会を覆いつつある中で、キラキラ/ギラギラ目を輝かせた人が語る「○○すべき/であるべき」「○○しなければならない/でなければならない」という「当為の言葉」は、多くの人を余計にゲンナリさせてしまう。

「キラキラ/ギラギラ」は「内に秘めておく」ぐらいで丁度よくて、それをむやみやたらとアウトプットしてしまうのは賢くないというか、わざわざ「伸び代」を潰すことになりはしないかと…

「ゆる~い/柔らかい」アウトプットは、巻き込みたい相手に対して「あなたの参画によって何かが変わるかもしれないですねー」と声をかける/匂わすことによって、取り組み(活動や事業)の「伸び代」を担保するというか、致命的な硬直を回避するというか…。

取り組みの中身によっては「そんな悠長なこと言ってられるか!ボケ!」という性質のものもあるかもしれないけれども、ラディカルに(「速度的な意味で急激に」ではなく「性質として根本的に」)社会を変えたいと思ったら、じわじわ~っと組織内外に「ゆる~い紐帯=共感や理解」を敷衍していくほかないんじゃないかと今は思います。

それもまた、「当面は食いっぱぐれない」安全地帯からの物言いになってしまっていて、切実さが足りないのかもしれないけれども…

 

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