備忘録20(2017.03.21)

「不正をただせ」と言うと、決まって「綺麗事ぬかしてんじゃねぇよ、このタコ」という非難が返ってくるようですが、「不正をただす」ことはそもそも「綺麗事」ではありません。

「不正をただす」ことはあくまでも「クソの処理」であって、完全に「シモ」の話であることを声を大にして言っておきたいと思います。

「シモ」だからこそ、人間が社会や組織に属しながら「健康で文化的な最低限度の生活」を送るために「最低限、押さえておかないとまずい」重要な部分なのです。

そしてもう一つ。必ずしも「不正」=「法令違反」とは限りません。「法令」そのものが「不正」=「処理されるべきクソ」というパターンもありますから。

ほら、特定秘密保護法、「共謀罪」(テロ等準備罪)の新設、安保法制の改定…ただちに浄水場か肥溜めで「無害化」しないとヤバい法令=クソは、枚挙に暇がありませんね。

「クソの処理」を社会や組織のシステムとしてきちんと機能させるのは、とても骨の折れる仕事ですが、私もあなたもどこかで「クソ」=「放置しておくと社会や組織(を構成する個々の人々)に多大な被害を及ぼすような誤り/過ち」を出す人間である以上、この仕事をおざなりにするのは宜しくないと思うのです。